いつもお越し下さって有難うございます。
今日はこんなメッセージ。
勿論、ユテコ解釈で。
詩篇 49:16 ~ 20
49:16人が富を得るときも、その家の栄えが増し加わるときも、恐れてはならない。
49:17彼が死ぬときは何ひとつ携え行くことができず、その栄えも彼に従って下って行くことはないからである。
49:18たとい彼が生きながらえる間、自分を幸福と思っても、またみずから幸な時に、人々から称賛されても、
49:19彼はついにおのれの先祖の仲間に連なる。彼らは絶えて光を見ることがない。
49:20人は栄華のうちに長くとどまることはできない。滅びうせる獣にひとしい。
富とは、どのようなものか?また、富に執着する事の無意味さを記されている。
金銭はとても大切。金銭を愛する事が人生に苦痛をもたらす事になる。
1テモテ 6 10
金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。
宝を天に蓄えること
マタイ 25: 40
『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
全ては神が私達に与えてくださっている。
管理して、愛の関係を豊かにもつため。。
だから、必要な時に互いに豊かになる為に、私達には身体・仲間・時間・そして金銭が託されている。
託されているんだったら、僕らはその与えられた環境をどう過ごすか?
全ては、自分そして隣人の幸せ為にも託されていたもの。
ならば本当の幸せを味わえるような事に使っていきたいのが、本心。。
ならば、本当の自分自身を知り、使い方を知る事ができたらめちゃめちゃ素敵かも。
2コリント 9 : 10 ~ 11
9:10種まく人に種と食べるためのパンとを備えて下さるかたは、あなたがたにも種を備え、それをふやし、そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである。
9:11こうして、あなたがたはすべてのことに豊かになって、惜しみなく施し、その施しはわたしたちの手によって行われ、神に感謝するに至るのである。
お金は大切なものだけど、生活をする為のツールに過ぎない。お金を託して下さる神様という存在こそが僕らの生活を支えて下さる。
がゆえに、お金よりも神様を信頼しますっていう行為として、献金という信仰の行為がある。
そんな信仰の行いに神様はどう応えられるのだろう?
与えられた隣人(家族、友人、弱ってる人、貧しい人)に対して、必要を分かち合う者・撒く者になろう。
それは、
あらゆる点で僕ら自身が豊かになるために。
撒くものになろう。
お金だけではなく、託されている時間も、身体も全て、必要な人に使っていきましょう。
使ったら、無くなるのは僕らの常識。
託されているものを、管理して使っていく者に、必要なものを満たそうとするのが神様の思い。
不思議なバイブルの言葉は、神様が僕らに記された契約
契約は神様の約束
もし信じて 撒くという行為を やっちゃったら・・・
ほんまに豊かになるんやったら・・・
おそろしく 不思議
僕らのそんな心を 神様は傍にいて
・・・ 喜んでくれる ・・・
大丈夫。
僕らの傍にはいつもジーザス。
(^0_0^)感謝。