今年は母のアロエを始めて手にした。

 

沢山の母が使っていた笊を奇麗に残した理由がわかると、たくさんの着物をわざわざ洗い張りに出して胴裏や襦袢までお揃いに保存していた母の気持ちにもなれた。

 

すごい数の着物だった、

 

事情があって二週間で移動しなければならなかった。

 

何とか皆さんの協力で100枚以上のものを捨てずにすんでよかった。

 

古い教室では300の牛の置物、あれは困った。

 

それでも何とか一つも捨てづにすんだのは奇跡だろう!

 

牛は牛込の牛であり、父が丑年ということもあり、詩吟のお弟子さんたちや一族のお土産だった。

 

どこへ行っても皆さん、まず牛探しである。

 

 

もうこれで最後と、母の形見の笊で私はアロエ茶を作る。

 

母は手遅れながんの方や抗がん剤で苦しんでいる方に、もちろん自分でも飲んでいたが、大きな笊でたくさん作っていた。

 

私は横目で見て、ばかにしていたのだ。

 

太陽にあてているのも困ったなーとみていた。

 

この現代にと、

 

だが事実は逆であった。

 

母がお茶を作ってあげていたのは、

 

大病院で見捨てられた患者なのである。

 

自分が間に入って紹介したので最後まで責任を感じたらしい。

 

まあ、お茶だけではないが食事も朝作って食欲がない方に差し上げていた。

 

なぜ?

 

?どうして、と聞いても母に答えはない。

 

そんなこと当たり前と帰ってくるだろう。

 

あの火の海を助け合わなければ、渡れなかった時代を生きたのだ、理屈はない。

 

 

母のアロエは終わる。

 

梅雨に入ると、陽光と湿度でもうよいお茶ができないと分かった。

 

母から何も習わなかったが、

 

少しはみていた。

 

 

お茶づくりで、

 

母の気持ちになり、

 

その昔、茶を作る人たちの苦労を知った。

 

最期にできた茶は陽の光に失敗、黒ずんでしまったが自分で作るとやはり捨てられなく最後にのむことにした。

 

一缶は二月分を入れて、非常用に冷凍室に保存、漢方のお薬なのである、何かの折には役に立つだろう。

 

アロエ茶が美味しくなるまで三月かかる。

 

お抹茶だって、お薄だってそんな簡単に美味しくたたなかった。

 

 

大事なことを言い忘れました。

 

それは茶の木です。

 

昔は貴重なものだったので、お茶は自家栽培がほとんどでした。

 

ですから、お茶を作るのもその家その家で特徴があったそうです。

 

抹茶も漢方からです。

 

これは石臼がないと難しいです。

 

まあ、ここで作ったのはあぶり茶といい、干し上げた後に熱い鍋などで煎ります。

 

冷ませば出来上がりと雲南の方に教わりました。

 

一番簡単な方法で、今でもこれで作るそうです。

 

また飲み方も北と南では違いがあります。

 

私はジャスミン茶を5倍以上混ぜて、5,6回は色がなくなるまで飲んでみました。

 

すると薄ければ薄いほど美味しいのです。

 

不思議でした。

 

これは恐ろしく成分が強いということが分かりました。

 

これは飲むのも難しいと今は思っています。

 

ですが、この体験は貴重でした。

 

未だにあれほど痛かった痛みがなくなりました。