守破離という理をいけばなでは使う。
守りつくして、その行き着いたところで破れるという。
そして、離れて師の教えを本当に会得するという。
茶道でも同じと思う。
時に今まで習ったこととは全く違うこと、逆勝手のようなお点前をすることもある。
私もお濃茶に入ったばかりで大炉の逆勝手を教えられた。
なにがなんだかさっぱり分からなかった。
あれから気が付いたら茶の湯になじんで半世紀が経ってしまう。
竜宮城の茶箱のように、あけてしまってあら、真っ白なのである。
師の教えを守りつくした人生。
まだまだ破れもしないし、離れもできない。
ただ前よりは、その本来の意味と概念が心に入ってきた。
守るるとも本をわするなという利休さんの言葉も、今は本が抜けている。
やはり、これはもったいない。
古典を学んでその本のその一を学んでこその先生だと思う。
守りつくして、古田織部は秀吉や家康から新しい茶をと求められて、破格の新時代の茶の世界を作り出す。
それがあの織部焼、織部灯籠、織部の茶室ー八窓庵である。
すべて難しい奥の教えが隠されている。
隠れキリシタンであった織部に真骨頂。
お花は、
皆さん立花を頑張るほど、盛花も自由花も俄然素晴らしくなるのである。
そして、ご自分の個性も光る作品ができるというのである。
お花も、やはり下向きにコツコツする方が最高点を支部で取っている。
もちろん立花は茶花に生かされ、一輪でも前とは違うのだ!








