今日は父の部屋から出てきた作務衣を洗い、風にたなびかす。

 

おやじ、鯉のぼりの代わりだぞ!

 

答えはないが、笑っていた。 。

 

 

 

親父が姉のタンスにカギを掛けたと知った。

 

それなら、無理に開けない、父に従おう。

 

立派な理由があるからだ。

 

父たちの慰霊団は、バギオの近くの日本軍、父たちが作った飛行場で慰霊碑をたてたという、

 

定年後の悲願であった。

 

体さえ丈夫なら私も行くはずだった。

 

父は10年毎年通い、飛行場に集まる現地の子たちに鉛筆などをくばったのが嬉しかったようだ。

 

最後の年、ジャングルの大雨でジープを捨てて徒歩で超えようとして、がけが崩れて怪我をしてやめてくれやた。

 

 

父の出てきた作務衣は、私の大きさ、夏と冬の入院用だ。

 

緑十字というバッジと車につける警視庁のマークをいただいて有頂天だったが、

 

バックで家内のマークツウのミラーを壊したのがショックで車はやめた。

 

その後は短歌の同人誌の事務局で俳句と短歌を生きがいにしていた。

 

文学も好きで、軽井沢の明治時代の有名な作家たちが会食している写真が出てきた。

 

ご婦人は伯爵夫人や有島武郎も見えた。