今日は敬老の日で予定では真ん中の姉のご主人の三回忌をギャラリーのたぬきというフランス居酒屋さんでやるはずであった。

 

だがこの台風に、一番上の姉が転んで骨折という連絡が入る。

 

こちらのご主人も今入院、骨の複雑骨折だが砂状になった骨を手術で直すという。

 

どちらも80はとうに超えている。

 

昨日長女が朝早く富士見高原から飛んできた。

 

夫婦でコマーシャルを作りながら世界を回っていた異色なのである。

 

東京は空気が悪いと今は富士見の山荘で暮らしている。

 

だがいざというときは頼りになる姪である。

 

子供の時から私の言うことは何でも聞いてくれる。

 

まあモデルでも成功して、今はカメラマンでご主人と仕事をしている。

 

顔が見れただけでも良いプレゼントであった。

 

私の年あたりが敬老の境と思う。

 

骨や体に何かあったら、とても敬老されても困る。

 

 

私自身7月、8月には大学病院に毎日のように通い検査を受けた。

 

体の痛みは、痺れを伴い、背中は電気が走るよう。

 

そのうち心臓の周りまで痛み出した。

 

6種類の精密検査、心臓の専門医による問診、生れて初めてであった。

 

半年は杖を使う、恥ずかしいからスキーのストックと自分に言い聞かせた。

 

子供のころから通った病院。

 

タクシーから降りると家内が車椅子を、

 

家内はさんざ母の通院に付き添い母を車椅子の乗せてまわった。

 

今は私は車椅子は使わない、杖もない、一人で行く。

 

原因は食道と胃であった。

 

父は喉頭がん、母は胃癌で。

 

覚悟して検査は受けたが癌ではなかった。

 

 

車椅子と杖も経験した。

 

取り立てて敬老という日はない方が良いといつも思う。

 

本来アジアの歴史、文化では敬愛というもので家族がつながり、町の人とも初めて会う方にでも昔から挨拶は当たり前であった。

 

歩いてくれば車椅子の方や杖の方には言われなくとも道を譲った。

 

それが美しい日本、美しい故郷を作る。

 

人の和がいざ何かあったときには、大きな力になるという。

 

 

私も杖を突いて初めて一人で新宿に行ったときに電車の中で若い青年が席を譲ってくれた。

 

唖然、これも生まれて初めてそんな年にもなり、嬉しいより涙が出そうになった、そんな青年を育てたご両親に感謝して、椅子に座った。

 

痛むときは数分でも楽になり、また歩けるのである。

 

 

リハビリに一日3000歩、これは大きめのスリッパですり足だった。

 

三月でダメになればよし。

 

週一日は一万歩の散歩。

 

これらは母に習う。

 

足の痺れも黒くなった爪も治った。

 

大学病院では昔は自然治癒力を大事にした。

 

すべてに不足の時代だ、

 

いまこそ、この忘れていたものを活用する時代が来たと思う。

 

そして来年こそは、あのオレンジバスに乗り、夢をかなえよう。