哲学の難しかった本が存在と無だった。

 

それで私は彼の哲学を学ぶために戯曲をすべて読む。

 

その時代はこれらを読んでないと仲間に疎外された。

 

高校からサルトルと心酔。

 

それでいて他方でお茶はせっせとお稽古に行っていた。

 

先生も生徒も男性。

 

ときに議論にもなる。

 

 

今思うと茶道と禅はフランスでは人気である。

 

実存は禅の哲学と通じるものがあり、その延長に茶の湯があると最近思う。

 

禅も日常の毎日の生活を大事にする。

 

お茶もしかりである。

 

 

若いとき、永平寺に行ったらドイツから来たご夫婦にお会いした。

 

日本人より熱心に坐禅していた。

 

礼儀正しい。

 

 

それより驚いたのはフランス人のお坊さんが三人もいたことであった。

 

やはりなるほどと、一人合点していた。

 

 

一番上の絵は、スペインの画家リヤドを描いたものである。

 

何か実存を感じるのだ。

 

哲学、茶道は感性で感じるところがあると理解が早い。

 

 

禅は学校の勉強と違う。

 

禅問答は難解に見えて、正面からたった一つの問題を理解、実行できると後の問題集もたやすく成る。

 

だがたった一つでも、三日で分かる方もいれば、30年もかける方もいる。

 

それほど奥が深い。

 

花一輪の命も大事にするのがこの考え方。

 

高校時代の参考書が出てきた。

 

日本の文学史、だいぶ忘れたので、最初から飛ばさないでまた勉強である。

 

神楽坂とも大いに縁の深いガラクタ文庫の作家たちがいるのだ。

 

年取っての手習いは、やはり復習からが良い。