まさしく私は宇多田ヒカルさんと同年代であって。
どこか艶っぽく、どこかあどけなく。
それらを等身大且つ達観的に綴る彼女の言葉選びに一目惚れした16歳からずっとファンでもあるわけで。
最近インターネットラジオで番組を持ち、アーティスト活動を再開したのかしらと、食器を洗いながら彼女の選んだ渋い曲を聴いていた矢先の出来事。
中には亡くなったお母様の曲も流れたり。
母親としてどうであったのか、ひとつとして完璧に同じ母親像はないでしょうし、私も私の母でしか測れないわけですから。
分かり得ませんが。
なんとなくお母様に対するアーティストとしての確固たる尊敬の念を宇多田さんから感じていました。
私にとって「死」や「最期」のイメージは日常になかなか乏しく、限りなく安穏な毎日を送っているので、自分の大切な人や自分自身がどのようにお別れをすることになるのか。皆目検討もつきません。
旅立つもの、見送るもの。
表裏一体の世界には、どちらにもいい思い出と穏やかな時間が流れて欲し いと願うばかりです。
娘として、あまりに突然のお別れは辛過ぎます。
彼女の中で、決着、昇華、そして新しい何かの誕生に。
良い方向へと向かいますように。
藤圭子さんのご冥福をお祈りします。