自分の母親を客観的に見た感想である。
私の母は惜しげも無く女である自分を利用する。
かれこれ三十と数年彼女の娘をやってきた私だからわかる。
彼女が今どんな思惑か。
言葉尻や、語気で今彼女が彼女の僕と信じて疑わない男性に甘えたいのか、否か。
手に取るようにわかってしまう。
見るに耐えない。
あまりに痛々しくて目を背けたくなる。
女、と呼ぶには彼女は大切なことを疎かにして久しいし、だからと言って魅力的でないかと言えばそうでないわけでもないのだけれど、やはり娘として先に感じてしまうのは、若い自分の残像を間違った形で内に留めている姿だったりする。
たまに酔った勢いで苦言を呈すると、決まって彼女は心外を露わに逆上するので、私はかれこれもう数年は彼女に耳の痛い台詞を娘の務めとすることを諦めた。
今日も今日とて例外はなく。
昔はもっと私が若くてわからなかった境地が、最近やけに重ねてしまった年月の功か不幸か、目に余ってしまう。
今になって私の足を捉えてしまって、傍らで朗らかに酔って楽しそうな自分のルーツに殺意を覚えるのだった。
それでも不思議と、母のことを揶揄する輩が居ようものならきっと前のめりに見得を切るのだろう。
親子って本当に面倒くさい。
そんなことを思いながら、もうすぐでスーパームーンなんだってとスキップしたかと思えば、程なく具合悪いと訴える危うい彼女のことを、結局100パーセント突き離すことなんて出来ないのだろうなと、歩みを再開したスーダラ節がそこはかとなく聴こえる夜なのだった。