町村チェスさん作のフォーカス&コントラスト。
今にもコップから溢れ出しそうな、表面張力ギリギリの描写でした。
叩かれても殴られても、閉塞された空間から頑なに逃げない子どもの眼光が、健気で意地らしくて、虫酸が走ってしまう。
一番感心したのは、団地の引きのコマです。
灯りがついて、一家団欒中の家庭の窓。
真っ暗で暴行の擬音だけの窓。
団地というテーマでこんな切り出し方をするなんて、言葉にできない衝撃を覚えました。
今日も誰かが笑って、誰かが泣いて。
破綻している親のことを見棄てることも、自分を不幸に至らしめる世界から逃げ出すこともしない子どもがいるんだ。
今、煌々と蛍光灯のつくこの部屋の外には。
ふと、父の海外赴任先インドネシアで家族一緒に過ごした日々と、当時の母のことを思い出しました。
毎日午前様で育児には積極的に参加しなかった父の興味をひくために身を粉にしてした母。
異国で慣れないコミュニティで、女性として、妻として、母として、均衡を保つことに精一杯だった時期、母は娘たちを叩くことが多かった。
帰国して、私が通い始めた小学校の初めての担任M先生は、20代半ばの若い女性でした。
母は当時30代後半でしたから、随分と若い先生に感じたそうです。
私のクラスには、いつも騒いで、人に意地悪をする問題児のあきちゃんがいました。
耳には金のピアスを開けているあきちゃんが、私は当時とても怖かったのを覚えています。
あきちゃんが騒ぐとM先生はぎゅーっと彼女を抱きしめてあげました。
母がその理由を懇談会で質問すると、彼女の母親は、お姉さんばかり可愛がって、あきちゃんには関心がないのだそうで、抱きしめることが必要なのだと答えられたそうです。
それを聞いてはっとしたそうです。
大人になってから聞いたそのエピソードは、育児の経験もない若い先生から気づきをもたらされたという母もまた、不完全なのだという当たり前のことを気づかせてくれました。
母は私を育ててくれて、同時に一緒に育ってきたのかもしれないなぁ。
そんなことを思いました。
私でさえ、大人になるまで、育児に疲れた母を、人間だもの、なのだと労わる発想だになく、疑うこともありませんでしたから、幼少期の子どもが母を否定することはとてもとても難しいことなのかもしれません。
かなり表現は生々しいですが、大切な作品だと思いました。
