私の終戦記念日14日に15日は11時に全校生徒登校の招集がかかった。当時、兵隊さんが200名ほど小学校に寄宿していて「武器も持たない無腰でした」何をしていたかと言うと校庭を掘り返し薩摩芋を作っていた。校庭が青々とした中で生徒約300人、兵隊200人が直立不動の体制で12時の玉音放送を聞いた。意味はよく分からなかったが戦争が終わった事だけはわかった。先生、兵隊とも皆さんが泣いているのを不思議と眺めていた記憶がある。この日は警戒警報、空襲警報も無く不思議な一日だった。