一人生で出会ったどの出会いもどの別れもわたしにとってそれは喜びであり感謝だ一

 

信者じゃない人が神を信じても信じなくても

 

信者の人がこの話を無視しようと賛同しようと

 

そのどれもがわたしにとって感謝であり、喜びとなる。

 

それはわたしが神による最終結末を信じたからだ。

 

 

このことがこころの底から分かったとき

 

すべては大逆転した。

 

過ぎ去ることは実によいことだ。

 

しかし、過ぎ去った後に何があるのか?

 

 

キリストが十字架で苦しまれ、三日目に復活された

 

この真実の愛により

 

こうなる。

 


1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。

2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。

3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、

4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。

5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。

6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。

7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」

 

ヨハネの黙示録 21章 1~8

 

 

わたしたちが生きている間のすったもんだのできごとは、わたしたちと共に過ぎ去ってゆき、その先に何があるのか?

 

その結末は上記のとおりである。

 

それは、キリストの十字架によって成し遂げられた偉大な功績である。

 

これを知って

 

これまで、人生は不満足で苦痛であると思っていたが、それさえ、実のところ喜びであり感謝であることに気づかされた。

 

古いものがどうであれ、神はすべてを新しくされる。

 

神が用意してくださった人生の大逆転勝利は必ず起こる。

 

わたしはそれを信じた。

 

 

主の御名はほむべきかな

 

ハレルヤ、アーメン