絵はモスクワのアカデミーを出た女流画家の作品で、



お会いしてますます感じいったものなのである。



旦那様がロシア文学の教授でロシア語でお茶の世界を私の説明を訳してくれた。



奥様は床の間の盆石に感動してた。


流石に芸術に国境はない。






今座っているのは四畳半、


後ろの畳が廊下になり、みなさんが交代で出たり入ったりできるのである。








総礼。


坐代わりという。


上、床の間に行くほうは、二上り右足からあがる。


下がる人は、左から三歩下がると、一畳を二人で上下にぶつからず通ることができる。


いうは簡単だが、その都度自分の座る位置が変わりパターンが変化するので反射的に足が動くまでこの平花月を続けるのが内弟子さんだ。


時にはお祝いなどで五十騎百騎とする修業は、


利休を書いた井上靖さんは命がけの遊びといった。


準備も茶会以上に丁寧に清める。


花月正式には七次式は、中世の茶道を復活させた。


滅びるどころか大反響で花月のブームを起こす。



ただ教える方が足りなかったのが今一つ残念だ。


教えるほうも同時に五人が動くこともあり、


専門のお稽古を積んだ方でないと難しい。












途中で小休止。


みなさんで麦茶で乾杯。


是もハイキング気分で楽しいひと時。


来月は茶箱で花月をと考えている。


花月は楽しい!







流石上級の方はスムーズだ。




花月は臨機応変な、機鋒互換しさいにみよという言葉が大徳寺の僧侶につけられている。


今的にはチームワークと普段交流のない社中の方と交流できる場だと思う。


お互い役が違うことも看取って上達するのである。