軸の修理に出したのだが、
和歌が読みずらい。
家内の母のお友達の尼僧の書かれたもの。
軸木の片方が取れて,木工ボンドを使って直す。
茶道具は私が直すが、
手に負えないものはないと自慢である。
師は茶人は昔から棚や長板、炉縁も作ったといって本当に鎌倉の海岸に打ち上げられた古木を炉縁にしてしまう。
大昔に近所に道具屋さんはない。
だから古い本はお道具の寸法が詳しいのだ。
この軸木の竹は胡麻だけで同じものがない。
ひびが入っていた。
前に出してしまったのは私。
乾燥させすぎた。
ノリ付けしてしばらくかけておこうと思う。
蓋の裏と表に庵主さんの直筆で書かれた言葉がある。
前回出してから何十年も閉まったまま。
軸は説明できなくても読めない軸は掛けてはいけないという。
もう一本軸木が外れていた。
これは家内の母の字、和歌も母のものだ。
母の短歌と書は70年。
年季が違う。
このような美しい紙に書かれたものが、小倉切れとか空海の高野切れといい茶の湯では大切にされてきた。
墨はだが、光が変わってくる中で読めない字が読めることがある。
帰りにカレーの材料を買って帰ると真っ白い紫陽花が咲いていた。
是だ!
紫陽花の色はない、茶人もだから茶花の紫陽花は白い額アジサイを使うのだと納得した。
かぼちゃカレーを作ろうとしたら、
かぼちゃはそれだけで食べたいという。
ルーはいつもの半分。
一時間は弱火で煮込むのが私の流儀。
明日の分、
サラダは半分は明日と明後日のために冷蔵室にしまう。