鎌倉では伝説の切通なのである。


源頼朝の妻 北条政子さんがこの山の上に真っ白い布を張り、この切通を覆ったという。


切通は鎌倉に多いい。


潮風が山にぶつかり、このように大きな穴をあけるのだ。


向こうから吹いてくる逗子からの潮風が好きだ。


トンネルの手前が座禅をしていたお寺、向こうに出ると先生の茶室があった。


無一庵という。


撮ったのはオリンパス 昔のアナログカメラである。


高校時代



初めての大寄せは近くの料理屋さんを借り切る。


お寺の境内は鎌倉の海岸沿いの四条金吾のお寺で桜祭りの協賛。


外人が観光バスで次々に乗り付けた。


私もクタクタで、生徒さんがお茶を入れているところなのだが、


海に近く、潮風で茶筅が倒れるのを家内が工夫しているところだと思う。


箱根の野生の空木。









花菖蒲は明治神宮である。




花は難しかった。


まだ写真がカラーになったばかり、メーカーで違いがあり、私は国産フジにした。


それでも紫陽花のそのものの色と風情を出すのは至難だった。


この花を撮りに何度も鎌倉の寿福寺に通う。


名は雪の下。


これは実朝の石碑の上に咲いた花。


石碑にカメラは向けれなくて、思わず上に咲いていた可憐な花を撮った。



30のころプロのカメラマンと犬吠埼に波のしぶきを撮りに行く。


昔はプロでも難しいといった。


荒波が岩にぶつかり白く大きくなって、消えていく瞬間。


デジカメではない。


フイルム選びから、当日の天気、絞り、シャッタースピードとレンズを選ぶという作業は大変だった。


しぶきが飛び近くまで寄るのが、ぶれなくてよいのだがなかなか」この崖を降りて撮影したのは当時は大冒険だった。








今日は特別稽古が遅いのでギャラリーの改装を見に行く。


建物本体は幼馴染のお母さんが美容院をしていた。


二人でよく階段の途中で将棋を指した。


神楽坂はいたるところ想い出ポロポロなのである。


教室のビルのあたりはお花畑もあって、遊び場であった。




 

この一週間はいたんだお軸の陰干しと修繕でみっもかけてしまう。


昔は二幅掛け、三幅とあったが実際にはしない。









今日は梅雨入り、空も六月の空だが心は晴れ晴れである。


自分がここまで無事に来られたことに感謝であった。


生徒さんの協力も大きい。


明日からまた新しい一歩が始まる。


時の移ろいは待ってくれない。