60を過ぎたころから、遥か昔の幼いころの記憶がよみがえる。
この間テレビではその記憶のシステムを解説していた。
父も今の私のころに5銭で飴玉が何個買えたとか話すようになった。
どうも昔のことを聞いてあげられなかった。
歳よりは頑固でくどいと思っていたら自分がいつの間にかである。
母は高島屋しか使わなかった。
よく私を連れていく、学校は休ませて。
いつだろう、屋上に本物の像がいた時代。
写真が昔あって覚えている。
象さんの背中に乗った私は、母にパーマをかけられていた。
たった一枚の写真だったが今は何処かに行ってしまう。
それがそのころは高島屋のサービスだった。
五歳ぐらいだろうか?
母は動物が好きだった。
妹の叔母も、なくなる時には六匹の大きな猫がそばで看取った。
叔母の家も、母が暮らした神楽坂の家も、恩師のアパートもみんなゾウさんが建ててくれた。
あだ名であるが、神楽坂ではお客さんの名前は言わない。
そんなの常識。
高級なホテルのレストランは今でも、会話が耳に入っても、名前も言わないが、一度お会いした方のお顔は忘れてはいけないという。
ふと写真の堂々とした方は、象さんだったと思いだす。
母は大阪までムーンライトで私を連れて、ツケをとりに行ったのも思い出す。
だが幼すぎてプロペラ機の初飛行は、ムーンライトはまるで覚えてない。
朝うとうとしていると走馬燈のようによみがえる記憶がある。
ゾウさんからもらった碁盤は大事に枕元にあり机になっている。
お顔は時に浮かんでくる。
いつもニコニコ優しい方で、外国にも建築を勉強によくいかれた。
歳よりはつい昔を語る、お許し願いたい。
坂は昔から朝早く起きたお年寄りがこんなに奇麗に毎日お掃除してくれていた。