茶会が終わって、お道具をしまいながら、このまま3月の釣り釜にする。


大変さは一度がいいと。


椅子にのり、怖かったが鎖は天井のひる釘に掛けられた。


ぐらっと来て鎖に捕まったが、さすが天井は大丈夫であった。


ぜいたくなことだが、私がめまいの病で車も止め、大寄せを外でしなくなってからは、このような茶会風なお稽古をするようになる。


釣り釜は、春の野立て風なのである。


3月4月と五徳はない。



話は違うが、


ヨーロッパから大学院生が日本の企業に働きに来て大学院の単位をとっていった。


その方は短期だがお茶もお花も習う。


時代は進んだと思っていたら。


今日ボストンから帰ってきた生徒さんは、向こうの企業で働いたのが授業という。


そしてまた二人目のお嬢さんがお父さんとオーストリアにオペラを聞きに度だった。


日本もいつの間にかヨーロッパ並みに。


驚くことばかり、


電話が上海からある。


元お茶とお花の生徒さん、上海でお花を教えている。


なんでも今年の春に日本に留学する人たちがいるそうだ。


お茶を短期に教えてほしいという。

去年の夏も成都大学の先生にひと月教えて、国に帰り学生さんに茶道を紹介したよという喜んでくれた


利休さんの時代から戦国乱世のなか、身分国籍宗教に関係なく茶室の中は平等で平和を大事に守ってきた。


それが一番の教えでもある。


人だけではない小さな生き物、花一輪の大自然の営みを感じ自分を見つめるのである