お正月は国外から飛行機を降りて、バスにのりかえて神楽坂を目指すという。


神楽坂も外国の人であふれた。


私も言葉の分からない人に道案内の助っ人であった。








お正月から金魚とメダカの世話に追われる。


金魚は初詣で家内が娘さんたちに金魚すくいのものをいただいた。


金魚はメダカを食べてしまうという。


大事な鉢二つを金魚鉢にしてしまう。


毎日水を置き水にして、科学の水を混ぜて3分の1を入れ替える。


寒くなったので今はベランダから避難である。


メダカが可愛いのが分かった。


父は最後の手術の日までメダカを世話していた。


うまく言葉では言えないが、今は父と同じ心境になる。


金魚とはちがう。



そういうわけで私のお正月はあっという間であった。


京都は宮中が中心だった。


沢山の参内者がお正月は訪れる。


秀吉のころもそうであった。


派手なことが好きな秀吉は、お正月を延々と楽しむ。


たまらないのは女官たち。


それで15日でお正月は終わりとした。


15日は、小正月、女正月といい多くの女官や下働きのものにお休みを与え、お正月の最後をしてもらう。



家康の時代になると、江戸は町づくり、城造りで大変な忙しさである。


お正月は今日の六日まで、家康は一年中素足で木綿の着物で頑張る。


庶民にも酒、たばこ禁止令を出すが罰則がなく守られない。


食べるのも江戸前の寿司もそばも立ち食いの忙しさであったという。


老いてきた家康の町づくりを急ぐ気持ちもわかる。


今でも東京は今日は松飾がある家もない家もさまざまである。


それでよいと思う。


私も喪中だが、今日は猿年の置物を買う。


一つぐらいないと寂しいのだ。