家内の母が元気なころ光が丘の家で撮った母、93歳でまだ短歌を毎月雑誌に出していた。


そばに寄り添うのは長女と次女の姉たちである。


母は幸せであった三人の娘に恵まれ、老いても矍鑠として立派であった。


このお年こそ備前尽くしでお点前ができるのだろう。


古備前のすり鉢で藁灰でいつか行こうと思うがまだ早い。


今日はアンバランスだがその名残の美学を学んだ。


備前の茶碗はわけあって箱がないが名人の作。


茶入れはこの茶碗の方の方の曾孫さん。


代々続く陶工であった。


茶碗が時代は古すぎてわからないが胡麻窯変。


この茶入れの良さがいまだに分からない。


備前はやはり歳と経験がものをいうのだ。












やっぱりお薄がいい。


皆さんが帰った後で久しぶりで自分でお点前をした。


アンバランスだが利休さんの小棗に備前、私の手作りの鷹峯の茶杓、これ三つだけあればもういいような気がした。


私はアルパでありオメガである。


ヨハネの黙示録の言葉である。


私にはアルパはお薄の平でオメガも行き着くところなのである。


初めと終わりが大事だと最後に父に教わった。