花月とは電光石化と思う。
一瞬で違う働きをする。
いつ何をするかは誰にも分からない。
今日は初めての方もいて緊張が走る。
1回目は、私も参加!
久しぶりで花月嫌いな私はスムーズにいかない。
花月は一切無言がきまり。
50騎花月というのは、平花月お薄の花月を無言で50回することを言う。
とても我々はできないがお家元では修行のためにするという。
いつどんなことが起きようとそれに対応するため。
緊張のままでは、またいけない。
それを解すのものも大切な訓練。
夏は何かと気が緩むがあらゆるところに隙もなく備えることも大事だと思う。
花月の札である。
四角い箱から籤引きのように一つとる。
畳一つ目に置く。
まだ裏は見ない。
月の絵柄が見えるだろうか、
お茶が呑めるのである。
月のは役札と言い、私はお茶が好きなので一番の札である。
花、桜の花びらが書いてあるのは当たるとお茶を点てなければならない。
四服のお薄が終わると、おしまいのサインで終わる。
全員で挨拶して、最初の自分の席に戻るのだ。
これが言葉では簡単だがやろうとするとなかなかである。
その都度位置が違う。
バックで右足と左足が交互に代わる。
初めての方はここで大きな壁にぶつかる。
そのままにしておくと私のときのように花月嫌いになり、
何しろ花月は大勢で出来るもの。
江戸時代、茶道が華美に走り、憂いたお家元たちや大徳寺の僧たちが新しい時代の学び方を研究してできたのが花月で正式には七事式という。
現代ではたくさん種類も増えたが基本はhお薄の平花月、
何度も何度もして知識ではなく、
自得してしまって、忘れるという繰り返しが茶道とされる。
熱心な質問は恥ではない。
真心のある熱心な方にこそ本当の奥を教えてあげなければいけない。
利休さんの言葉であるがなかなかもって皆さん大変である。