児玉大将はここ市ヶ谷にお屋敷があった。


一族の人とは知り合いだった。


この人がいなかったらバルチック艦隊に日本海軍は全滅されていたという。


そして今広い道路が朝霞まで延びようとしている。







父が寝ていた頭の上の棚を整理していたら、戦前の写真の箱が出てきた。


スキーの写真があった。


なんと兵隊に行く、赤紙まで父はとってあった。


集合した部隊の記念写真もある。


遥か南方。


赤紙まで大事な極秘のことは消してあった。


私に話していたのとはまるで違う。


父らしい、軍の規律は死んでも守る。


父は近衛歩兵で出征した。


はじめて知る。


母の卒業アルバムも今日はしっかり読んだ。


父は18でいく。


その年に女学校を出た母と結婚。


父の母を看病するための結婚らしい。









父の柿木と日の丸。


何十年も生き残った仲間がいないかと週末や祭日に掛け、


待っていた。


この思いは、補給の途絶えた前線で這うように生きてきた青年たちにしかわからないだろう。


父が撮った南方の夕陽。


あるとき、奇跡的に一人の戦友が訪ねてきた。


父以外にも生き残った方がいた。


遠い北から、


父は子供のように喜び、感動していた。


それから遺族を伴い戦友の霊を鎮めようと毎年お参りに行き、


慰霊碑を現地に建てた。


父の話には嘘はないのだろうが、いまだに本当の事が言えない戦の姿がある。


家の門に日の丸をあげていたのは参ったが、この事件以来父の気持ちになる。