紫陽花のころは、親友と北鎌倉で電車から降りた。


紫陽花寺、明月院に寄るのである。


友はキャノン、私はオリンパス。


それぞれ得意なレンズで向かう。


今と違い、たくさんレンズを入れたカメラバックは重い。


友は紫陽花より庭園を、


なかなか高校生にしては、茶道も本格的であったか?


先生が二人を待っているのに、


我々はのんびり歩いて鎌倉に入る。


そして必ず八幡様にお参りして、運慶の像とにらめっこ。


先生はすべてを引退されて、悠遊自適。


私たちが付くまでには炭で必ず湯を沸かして、


着物に着替えていた。


角刈りの頭はいつも真っ白。


いつもにこにこ笑う笑顔は嬉しいが、


教えだすと厳しい。


まあ、最初は平点前に一時間以上である。


足が痺れた、3回は足を投げ出す。


2人だけでも、お昼をご馳走になり帰りは暗くなっていた。


時間はないという、茶道は時刻。


お薄なら2時間、お濃茶があれば4時間と思いなさいと、


4時間を越えたら、もう一食を心配かけるからだという。


だからその前に終わるようにできているという。


太陽の動きを、黄道という季節で光が違うことを感じるのが大切と教わる。


兎に角かなり贅沢な時間を過ごさせてもらう。


あるとき私一人でお稽古に行く。


多分その時だと思う。


先生と鎌倉の町を歩いたのは初めて、


どういう訳か八幡様の参道にある普通のお蕎麦屋さんに入ったのである。


あとにも先にも、先生とかけそばを食べたのはその一度だけである。


強烈な思いで、友にはいまだに内緒である。