泪の花供養は私だけではなかった。
男の私が嗚咽したのは自分でも説明できない。
三年近く、母の看病は続いた。
私が食事と身の回り、妻が車椅子を引き病院に通う生活が長かった。
二度の骨折でも立ち上がり、歩けるまでになったが、
癌と糖尿はどうしようもない。
この半年は私も体が疲れて、私まで糖尿になる。
最悪の値で入院をといわれるが、今は母がそれどころではないから入院も薬も断ってしまう。
自分を投げ捨てなければ、
不可能な状況もある。
母は私より強かった。
痛みがあってもいたいと言わない。
胃の8割は占めている癌なのに、
仲良くしている。
だが癌のせいでここ10日は食べれなく、水分も摂れなくなった。
介護の方もすることがないし、
私もそばにいるだけで何もしてあげられなかった。
今日は葬儀の打ち合わせ。
親戚や母の友達への連絡に追われた。
もう皆さん高齢である。
母も今年米寿のお祝いをしたばかりである。
電話するのも憚れたが、家内が知らせないわけにいかないという。
半日電話する。
亡くなった姉の中学からの友達が飛んできてくれた。
葬儀屋さんもきて、
旅立ちの支度をすることになる。
隣の会社の社長と社員の方が大きな花枕のアートフラワーを持ってきてくれた。
それはいいが、3人で泣きながら思い出を語る。
私は知らないことばかり、
母の世話好きは女将時代からというより、
女学校時代からである。
昔母の箪笥をいたずらして、
母の大事な卒業のサインブックを発見。
なんと有名な歌舞伎役者のものばかりであった。
母のあだ名は地下足袋のお静さん。
口紅はおろか、化粧もしない。
死ぬまでと思っていたら、今日は化粧をされた。
生れてはじめての母の化粧の姿に、
私は驚いた!
映画は見たが、旅立ちの支度をこんなに見事にしてくれるんだと感動した。
家内は花を母のそばにも活けてくれた。
私は最高の妻を貰ったよと母にいい、これからは迷いなく妻の老いにも向き合おうと誓った。