今日は真夜中ベランダに立つと朧月夜であった。


もう春になったのかと、


弥生三月 ひな祭り


だが教室は、そのゆとりも終わる。


いよいよ炉のラストスパートである。


終わりにお稽古不足なものをお稽古するのがいつもの3月4月である。


上級の方は、伝授があるのでいっそう気が入る。


先輩もよい復習が今年はできる。


なにはともあれ、基本が大切なのは同じである。


昨日までの逆勝手を頭から捨て、


どこまでやれるか、二服点ての難しいものと台子の一番古典のものを伝授を受ければ立派な先生である。


その上の茶名は名誉なことなので、伝授はない。


お家元に先生が推薦して、お家元が決める。


落とされることもある。


よくわからないが貢献度という。


お家元の一字を貰うのだから、


そう簡単ではない。


昔は親先生にも紹介して、会ってもらった。


我々社中はみんな親先生、業躰職とつながる。


個人で引継ぎや、社中を構えるということは不可能なのである。


今の方は何にも知らないで可哀想である。


朧月のような、淡く、消えやすい人間関係では茶道は成り立たない。


侘び茶まで行くには、すべて朝から掃除、洗濯の作務なのである。


禅の修行が茶道。


こころの修行は、呼吸法で禅の呼吸法なのである。


座禅は休憩。


韋駄天の働きの作務があるから、お点前があるから動く禅といわれるのである。


何かあれば下山、破門は当たり前の世界なのである。