今日はお留守番。
家内は三姉妹の毎年恒例の姉の家の近くの梅林に梅見である。
若い時は行けたが、この頃は長く電車に乗ることができない。
自分の揺れと電車の振動で気分が悪くなる。
兎に角私は教室に行き明日の準備、
母に温泉饅頭を持っていく。
この頃ほかのものは食べないがおまんじゅうは食べる。
有難い有難いと泣くので泣いてはダメと、飲みものをあげる。
家内が帰るまでまだ時間があり、
家に帰りすることがないのでお昼にお風呂となる。
家内は今頃久しぶりに集まった三姉妹で梅を見て、
姉の家でご馳走を食べているだろうと、
私は姉から貰ったウイスキーボンボンを三つも食べてしまう。
パラグアイから送られてきた、イグアスの滝の音楽。
うらには厚生大臣をしていた兄の友達がスペイン語で感謝を言っているという。
我が家は三か所の荷物が集まり大変。
そのうえ姉の絵が沢山かかっているのである。
姉の個展のお手伝いは独身の頃から始まる。
今のギャラリーがない時代。
ほとんど銀座の画廊だから大変である。
私はカメラを持っていき、一枚一枚記録用にアナログで撮るのである。
そして、絵を飾る。
何十年もやってきたお蔭で、
色彩感覚と絵を読むことができるようになる。
茶道と絵画はある時代は共存していたのである。
それに家内の滅茶苦茶な絵好き。
どんな値段でも、関係なく、気に入ればポンと100号でも買ってしまう。
絵だけでも蔵がほしいのである。
ここにきて、三姉妹も大いに歳をとり、
今年は絵の会は、姉のはない。
毎年春に展示会をしていたのは、亡くなった父への供養のため。
4月8日が命日だった。
それで絵は、大作は桜だった。
これからも、まだたくさんのものを収納しないといけない。
我が家は足の踏み場もないので、
今後の荷物はプロに頼み、父の家に送ることにした。
母は絶対、位置を変えない。
痴呆症が進む。
ましてどの家も階段がある。
今となっては無理なのだ、
母が住めるように用意した父の部屋はそのまま、
姉と祖母の部屋に収納する。
すべて母が元気な時の希望なのである。
医者と看護師さんは通いで来てくれるのでこの頃は慣れてやっと休みが取れるようになる。
母は寝たきりだが、大いにえばって元気である。
親戚の人も皆来て会ってくれた。
50年以上のボーイフレンドも、皆さんお小遣いをたくさん持って会いに来てくれた。
これは困って、事情を説明して2千円までとお願い。
花柳界の元芸者衆もお別れに来た。
お母さんと涙ぐむ。
女子医大の女医さんも、
下宿していた方が心配してきてくれた。
もう母は十分であろう。
胃が9割に癌がある。
だが、母のひいばあちゃんはこんな状態で8年も生きた。
医者でも解らない。
神様の天寿に任せるしかない。
医療では届かない世界もある。