花をのみ 待つらむ人に 山里の 雪間の草の春みせばや



この頃は三寂の短歌の説明しなくなった。


今頃は雪間の短歌で私は好きなのである。


みなさん、有名な歌なので学校で習ってくるのでこの歌と茶道の事を話しわすれる。


もっと困るのは、新しい教室になり四畳半がなくなった。


昔は入門すると必ず、茶室の説明であった。


同じ正方形で今の8畳も変わりないはずなのだが、


やはり違う。


草庵は四畳半まで、


8畳は草庵とは言わない。


四畳半だから東南西北に大きく窓を切り、


光と風を茶室に取り込んだ。


冬暖かく、夏は涼しく。


遥か昔からである。


唯一の炭をいかに使うかで、茶人は腕を見せた。


茶花は下に置かず、掛けることもある。


お茶事では軸を巻き上げて、中立ちのあとにこのように活ける。


本来床の間は北。


お点前する亭主は北にむかっって座るのである。


北は風が強く当たる。


茶道が始まる前から、北には窓を切らず壁だった。






教室は三回引っ越したが、三度ともお点前の場所は太陽が当たる。


家内はお休みの生徒さんのお花は一番北の冷たいところに置く。


一日でも長く持たせたいからである。




我が家のマンションのベランダと隣のマンション。


扇型に北に並んでしまう。


最初は風害。


最近、風は音を運び、とんでもない大きな音になると知る。








書院の建物は足利義政の慈照寺。


道仁斎という最初の四畳半の茶室ができた。


床の間は軸は掛けないが障子を開けると、床の間の真ん中に外への窓が開く。


そこは芸阿弥たちが苦心して作った日本庭園である。


床の間を使った四季の芸術である。


現代は、建築も空へ空へと高くなった。


飯田橋も超高層ビルがいくつもできた。


今のように北風が強く吹くと教室のベランダの植木も何度も倒れる。


風の道を考えてないなと思う。


昔の茶人に学んだ黒川さんは素晴らしい。