家内がクリスマスプレゼントの可愛い猫の陶版を私が高い本棚から落とし粉々にしてしまう。
今度は直すのは無理と思っていたら、
この暮に直してくれた。
これがクリスマスプレゼントという、こんなうれしいことはない。
ネコが大きな鯛を後ろに隠して嬉しそうに微笑んでいるのが妻に見えてしょうがない、ないしょ内緒である。
家内は支部でのお花のコンクールで朝からいない。
結婚して、二人が通った小学校に選挙に行くのはいつも揃っていく。
別に理由はないが今まで40年以上そうなのである。
想い出はあちこち。
屋上が広く、
沢山花壇があった。
授業よりも夢中で植物を育てた。
私は3年から6年まで同じ女の先生でクラス替えもない。
これはありがたかった。
卒業してもクラス会は長く続き、
先生はあちこちの校長を終わると、
暑い半年は故郷の北海道。
娘たちの成長を確かめながら余生を楽しんだ。
だが先生は雪で転ぶのが嫌で、雪のある時期は高田の馬場の音響が防音のマンションに住んでいた。
私がお邪魔したのは高田の馬場のほうである。
もうすっかり歳をとったわんぱくの三人を前に先生は質問である。
お金は夫婦でどうしているかという心配である。
三人で正直に答えると、安心されたようである。
まだこと歳になっても師には心配をかけるわんぱくである。
年末の恒例のクリスマスも準備が終わる。
初釜の準備を順調。
春の引継ぎのお稽古も動き出した。
私もこの辺で一服と思う。
今年は駆け足で精いっぱいやってきた。
落ち着きと、揺るぎない安らぎにかけているとある生徒さんの片付けを拝見させてもらい、
あの落ち着きと緩やかな物腰。
自分で教えていながらもそれを超える生徒さんに私は学ぶのである。
落ち着きは、冬ソナでも私は良い。
今日最後のシーンで声を上げて泣いてしまう。
なんとかこの一念で聴けた。
お正月は、また最初からハングルのセリフを覚えよう。
新しい試みは人生を広くする。