写真は仮教室の時代のもの、
私たちも随分若いのです。
木造の二階に炉を切るのは大変でした。
大きな柱を二本とることになりあわてました。
でも10年は使ったので無駄にはなりません。
今はギャラリーの貸し教室で活躍しています。
仮教室は花月用の茶室としてメインに活躍しました。
花月というと苦手な方も多いのです。
そういう私は大の苦手です。
兎に角最初に習った流儀には花月はない古流でした。
裏千家は、おおざっぱにいうと江戸の中ごろに三千家と大徳寺の僧侶と悩んだ末花月を作られたそうです。
当時は家元制も同時に作りました。
それまでは一子相伝の昔からの伝授でした。
家元は、その方から滴々相伝、これはたくさんのお弟子さんにじかに伝授するというように変わりました。
ある意味ではそれが家元という意義なのです。
花月はその中で50騎100騎と寝ずに続ける場合もあったようです。
それが全国に家元の代理で講習に行く内弟子さんのステータスのようでした。
この時期が8代一灯お家元でした、表千家から入られた方。
裏では中興の祖としています。
お点前にも改良があらゆるところにみられます。
兎に角裏では講習会に行かないといけません。
ある時期からはそれ以上のお許しはいただけません。
皆さん誘い合っていきますが、講習会の半分は花月なのです。
これはやってないとどうにもなりません。
花月嫌いな私は虎ノ門ホールの時代はお昼の鳥弁を食べると眠くなりました。
全然一手先を読んでないので、いや読もうにも難しい花月は分かりません。
随分それから苦労して、まだ教えられませんが自分が今はやることだと思っています。
再開の前は、私が花月でメニエールの発作で倒れてしまい、
家内も皆さんも最後の印象が悪いのです。
やはり、今年は2回目の花月も一回めより少ないのもそのせいでしょう。
でも、私たちは私一人でもするつもりです。
花月嫌いは理由はどうあれ、いつか自分に降りかかってきます。
もうやるしかありません。