神楽坂はお彼岸ですごい人であった。


坂下のあんみつ屋さんもすごい行列。


今年も宇治金時を食べ損ねた。


大いに残念と思ったら、もうメニューにない。


これで完全に今年は食べれない。


だが季節はもう炉開きである。


今度はお汁粉の味を研究に行かなくては。












今日は休みだが我々には今日しかお互いの奥伝の手を合わせられない。


研究会での動き、新しい御道具での金割りは使わないと解らない。


カメラを出して一枚だけとシャッターを押すと雷が落ちた。


分かるが


家内は私の袱紗を使う。


これは師が大円真の伝授をしてくれた時に3枚全部京都の老舗でそろえた。


それだけこのお点前は真剣だった。


御扇子は逆にボロボロ。


師が初めての初釜に男性用で塗りの扇子、うれしかった。


それ以来40年以上使っている。


今日はまたバラバラになりノリで付けた。


茶道は人の心である。


心と心がつながれば、生死も越える。 


心が信を発して、信が心を捉えるという。


いつの時代もこれは同じ。