あれから、あっという間に50年である。


お茶を始めたのも、クリスチャンとしてhibaのセンターに通いだし、アメリカの宣教師の方々にキリスト教と英語を学んだ。


渋谷にあったセンターには東京のクリスチャンの高校生がたくさん集まる。


もちろん女の子のほうが多い。


讃美歌も歌うが、交わりと言っておしゃべりもする。


我々の学校はその当時男性オンリーそのうえ坊主頭である。


それなのに10人以上がセンターに来ていた。


ここが唯一女学生と話ができるのだからしょうがない。


良くもてる仲間は、どういうわけかいつも一人。


彼は成績も中ぐらい、顔もいがぐりのようなのに持てるのだ。


高校時代から知り合た女学生のノートを作りだした。


写真と記事で一ページ、今でも内緒でピアノの裏に隠しているという。


私は奥さんより娘さんが心配、焼いてしまえというのだが思い出が詰まっているらしい。


だいたい剣道とクリスチャンの親友がちょっと変わり種である。


この時代には洗礼は受けなかった。


熱海まで宣教師の講習に泊りがけで仲間と行くが、


なんかみんなが洗礼を受けているのに、その時は怖かったし、まだ一つの疑問があった。


姉が急死して、ショックが大きく、


しばらく行ってなかった近くの教会に通う。


創世記から新約のヨハネの黙示録まで聖書研究会で3年学び直した。


今度は、父と子と聖霊を感じて50の時に洗礼を受けたのである。


クリスチャンとして、茶の湯者としての求道精神はまだまだ続く。


いつの間にか鎌倉の野点も、


道安囲いでの茶箱雪の点前もあった。


そして、いつの間にか家内も私も半東の時代が終わり。


今は生徒さんたちが主体的に初釜もやってくれる。


夏の思い出である。