利休さんの時代に、名物の井戸茶碗を秀吉のお侍が落としてしまう。


この話は有名で茶道をしているものは知っていると思うが、解釈が難しいのである。


秀吉が侍を切ると言い出して、利休さんと細川幽斎さんがこれを止めようとするのだが。


ただは止めない。


細川幽斎さんは三斎の父で、ガラシャ夫人の義父でもある。


博識であり、当時は多くの大名や公家の方々に世界のことなど講義したという。


熊本には講義した広間も保存されて、お点前をしながらも話をしたという。


それほどの方がこの事件で狂歌を作って秀吉を諌めた。



筒井筒五つに割れし井戸茶碗罪をば我にしらしめしな


一人のお侍さんの命だけでなく、今や大陸は五つに割れて戦争になる。


その中に戦の終わったばかりの大名を送るのはどうかということである。


その当時は天下人に意見するのは命がけである。


このテーマで利休さんは、三人で小間で茶会をしたという。


内容は計り知れないが、


平和を求めてのことに違いないと思う。


その後の利休さんを思えば考えられる。


現代でも淡々斎お家元は、戦前から戦後まで、


御所籠を持って、茶道を守ってくれた。


過去の積み重ねが今ある私である。


その恩に感謝しながら、明日に向かって頑張れるのである!