ここ半年は、朝は大忙しになる。
台所で母のお弁当を三食作る日々が続く。
そうして半年前、精密検査で糖尿病と診断。
その値は最悪の9.8 即入院と言われた。
普通は6.5でも病と判断されるという。
私は母や妻がいるから、絶対入院はできないと主治医と相談。
茶道の先生が糖尿では、どうにもお茶にならない。
最近近所の偉いお茶の先生が糖尿で亡くなっていた。
ウナギばかり食べていたのが不思議であった。
私は、茶道は本来自分の激しい本能を抑えるために学生のころ始めた。
偉そうにはしない。
私の強い欲求がそのままでは、学問もできないし、小説も書けない。
それゆえ、何があってもお稽古は続けた。
父が癌で倒れても、葬儀も行かず教え続けた。
父はそれでよいという。
父は特攻隊の生き残り、神も仏も信じない無神論者と言っていた。
ぎりぎり限界を超える戦いを戦争が終わっても信ぜず、ジャングルで2年も耐え抜いた。
父が生きて帰れたのは、食のおかげ。
マラリアで倒れているところを米軍の軍医に発見されて、助かったという。
回復は軍医が炊事班に回してくれたせいだ。
私は子供のころから、料理の基本を父に教わる。
それがこの年で大いに役に立った。
お粥、重湯、雑炊は父は美味しく作る。
今の私は、30年の誤診でボロボロになった内臓を蘇生させている。
これぐらい茶の湯を修行してきたら、禅の懐石を永平寺に学んだのが無駄になると、
死に物狂いで、母の食事も糖尿食なので勉強しながら2人の食事を研究して頑張った。
お蔭で三回目の検査では7に落ち、薬もインシュリンも入院も必要ないといわれた。
それには失うものも大きかったが、
健康というのは、何にも代えがたいと今までも解っていながらやはり解っていなかったようだ。
この頃お昼はカレーに、
家に帰れないときは近所で、
自宅には時間があれば、カレーを作っておく。
この頃はカロリーを1600以上にしても良いといわれる。
体重の落とし過ぎ、とも言われている。
そして欠かせないのは、上級の生徒さんの練るお濃茶。
3グラムから5グラム飲むと体の余分な脂が出ていくのである。
家内が元気に、自分が設計した回り階段を嬉しそうに降りてきた。
元気な家内を見るとまだまだ病に負けられないと思う。
今週滅茶苦茶忙しい、もう外食しかない。
家内は昔から元気。
母と自分のスポーツカーの前で撮る。
白パイも巻いてしまうほどのじゃじゃ馬であった。