姪っ子の真理ちゃんが素晴らしい投げ入れを活けてくれた。


山吹、芍薬、マーガレットの色彩感覚が良かった。


私も中学の時に生け花を習わされた。


草月のデザイン感覚を料理に生かすというコック長の方針で通う。


高田の馬場の先生である。


それがいつの間にか、茶道一本になる。


だが、お花は見たり写真に撮るのは好きであった。


姪っ子はお茶はやらない。


お花だけである。


一瞬三代目ができるかと期待する。


まあ、あとのことはもう考えないで、今伝えられることを精一杯伝えようと家内と話す。


跡取りで悩んでいたというのは、可笑しい現象であった。


まさに人生は旅。


どこでどうなるか、


旅ダンスー箪笥のように持ち歩きができ、


どこでもお点前のできる柴点のように自在で行かないといけないなと思う。


利休さんが考案した旅箪笥も私の年代であろう。


秀吉の軍勢20万について小田原に行くのに、


野点用に作られたという。


生徒さんも、もう薄茶は卒業していたがこの棚は初めて、


お薄の芝点をしてみようということになる。


旅箪笥の後ろに広がる油絵は姉の作、富士見高原のお花畑である。


生徒さんは、最初のお免状もきて、差し上げた。


一歩一歩お花もお茶も確実に前進している。


もちろん、お抹茶の味も良くなっていく。