台子には大きく二種類があります。
行台子という上で使われている竹の四本柱の天板地板は木地のものです。
これは室町の中ごろの村田珠光という禅と儒学を学び、茶道に取り入れた茶人が作りました。
日本人にやりやすいように大きさや高さも考えられています。
畳も田舎でもちょうどよく、新しい茶道が広まるきっかけになりました。
このころから、茶道は人前でお点前としてするようになります。
時代は抹茶も品種改良が続き、極上というような美味しいお茶ができてきました。
町では一服一銭という、庶民のお茶売りまで出るようになり、盛んに呑まれました。
下の写真の台子は、真台子と言います。
私と比較してください。
背が高く、大きな台子です。
中国から遣唐使の時代に、伝わったものです。
本物ではありませんが、お稽古用にその当時と同じものを使います。
皆具も唐物伝来のものの扱いを学びます。
台子が茶道のルーツと言われるゆえんです。
真台子の時代に茶の湯が闘茶という賭け事、大酒に走ってしまい幕府も困りました。
その次の行台子を作り、お点前を研究した村田珠光はこの行台子で大きく茶の湯の茶道としての出発、再生の道を開きました。
もう、新しい茶道で闘茶は流行らなくなり、禅と儒学をお点前の中で学びながら、利休さんたちに正しい台子のお茶をつないでいきます。
堺に北向道陣という茶人が住んでいました、利休さんの家のそばで利休さんはこの方から19歳まで台子の茶を学んだといわれています。
そのあと武野紹鴎につき、ともに新しい時代の茶道を広めていきました。
我々は初め利休さんが行き着いた、草庵の侘び茶のお点前から学んでいます。
ありがたいことに、優しく合理的で手数も少ないので入りやすいのです。
だいたいこの平点前を昔は3年から5年お稽古しました。
その土台の上に積み上げていきまして、
それらのお点前の源を知りたい方には、家元の許しをいただき、家元の代理で私たちが伝授いたします。
なかなか、そこまで行く方は十人に一人、割り稽古からそこまでのお稽古を師と伴にできるというのはまれです。
ここ最近は、真台子まで来た方がいて、大いに私自身の励みにもなっています。
還暦を過ぎても、真台子の伝授の4時間を頑張れたのは皆さんの元気をいただいたからと、
ちょっと嬉しくて、ちょっと自慢です!