昨日はテレビで桜の木の寿命をやっていた。
その意外な早さに驚いた。
わが飯田橋界隈の桜を心配で見に行く。
ちょっと花見気分とは違う。
まるで自分の寿命を見るような気持ちで出かけた。
今日から、教室も新学期、新体制でお稽古が始まる。
家内は昼の部の生徒さんと配りで一種活け。
私は今日は昼の部赤ちゃん教室だったが、予定より早く終わる。
断然桜を診に行こうと出かけた。
外堀通りの桜は、私が新入社員のころライオンズクラブが植えた。
そう50年ぐらいだろうか。
今が盛り、昨日のテレビによると見ごろなのだそうだ。
土手の上も桜である。
靖国の北門の桜と改築した本殿である。
能舞台では、会場つくりが行われていた。
これから能が始まる。
千鳥ヶ淵に出ると夕暮れが近づく。
ここまで来るのに二時間かかってしまう。
いつもなら十五分、子供の時の自転車なら五分。
いつの間にか近づいた老いに唖然である。
だが、頑張って人にぶつかりながらも歩いた甲斐はあった。
大きな桜の幹、桜の花をひつつひとつ見ると、確かに限界なのだとわかる。
根を踏まないよう歩くだけだが、
西行の詩を思いだしながら、また来年も咲いてくれるように祈る。
いよいよライトアップが始まる。
教室に電話すると、約束の見学の方が着物で見えているという。
すっかり忘れていた。
急いで靖国の喧騒を抜けて、教室に急ぐが、昔の自分ではない時間はかかってしまう。
待っててくれるだけ、熱心なら入門を許そうと思う。
明日も新しい方が初稽古。
準備に二日、見学の人はいない。
今はそれでよい思う。
狭き門も必要だと思う。