40年前、真台子の伝授を受けるときは緊張した。


最後の皆伝には、自分なりのけじめと思い切って、新しい袱紗と真台子の袱紗、古帛紗も名物裂の道元緞子を買う。


一生に一度の伝授と新しくした。


だが、一度使って仕舞いこんだ。


まだまだ真台子がさっぱり解らない、伝授は受けても無我夢中で終わる。


師は一言、ゆっくりと言っただけである。


袱紗などが新品、やりずらいところはあった。


今年は、その袱紗を出した。


徳斎のもので、使いやすいが、手になじんではいない。


40年前もそうだったのだろう。


だが、何しろ伝授を受ける前は何をどう使うか分からない。


今年は、記念の袱紗を出して、一からお稽古している。


やはり、まだまだ私もお稽古すればするほどに、奥秘の大事さが解ってくる。


右手が痛く、動かせないところは、御所籠の要領で左手が自然に動き、これが茶箱の神髄と自分に感心。


そう、茶道には右手、左手がある。


自由自在が本来の面目と、師の言葉が甦る!