私は鎌倉の師の野点の姿を見て、求めるものはこれとこの道に入る。


高齢であったが、友人と私をよく教えてくれた。


本物の侘び茶人であった。


本職は早大を出て、上海でビルを作っていたという。


仕事の合間も上海のご婦人方に茶道を広めたそうだ。


私は師の侘び茶を知りたくて、20代前後でじたばたしていた。


座禅もしようと写真のように8メートルも積もった雪の永平寺に行く。


もう、命がけ。


その道は師がおっしゃった通り、無理してはいけないのだとを今は納得した。


師は山登りと同じで、いきなりまっすぐ上るバカはいないと怒られる。


富士山なら麓の花が咲いている景色を楽しんで、しっかり足元を見て上るのだ。




私も気が付いたらもうすぐ70である。


師と同じ年齢にいつの間にかなってしまう。


皆さんと真台子の源のお稽古を続けていたら、いつの間にか侘び茶が目の前にある。


コツコツやってきたのが夢のようである。


家内とどんなことがあっても茶道を続けてきたお蔭と思う。


本当にこの道は自分の体験なので、文字では顕せない。


師の言葉通り、山の頂に出るともう誰も何も見えないが、人生は変わる。


まだまだ、師の道は遠い、私にも少しは見えてきたが、なかなかその哲学をものにするのは大変!






上の真台子の飾りは、特別で淡々斎お家元によれば、極真の飾りといい。


炉の横の寸法が42センチに決まった、炉の座、風炉のあった場所をいうのである。


この風炉のすべては、平安時代栄西さんが伝えたものに近いので、真という。