学生時代からけんかの仲裁が多かった。


仲間は喧嘩ぱやいのばかり集まる。


男子校だからしょうがないといえばそうなのだが、


兎に角、書記の私は事件があるとそれをまとめさせられる。


下手に書くと退学ということになり、責任重大であった。


いつも言葉の通じない喧嘩相手には、お説教である。


そんなに興奮してはいけない。


人間を休みなく動かしているのは、方一寸ほどの小さな心臓なのであるから、


その心の音を聴いて、そのかすかな動きで我々の生命は動いていると暴れるのを止めないものには抱き上げて耳元で話す。


私は、書記なので喧嘩もすべて学校側に報告しなければならなかった。


仲間は、皆私を恐れた。


犠牲者は出したくないが、いくら言ってもタバコを吸うのだけは容赦はしなかった。


心臓の悪いものが吸っていると、すぐに取り上げて記帳はしなかった。


姉も心臓が悪いのに、高校でタバコを吸った。


退学になる。


あの時代、たばこを吸うというのが一番厳しく罰せられた。


中学、高校、大学と仲間は10年一緒だった。


みんなクリスチャンの仲間であった。


いまだに50年以上繋がっている。


みんな結婚も同じ年にしてしまう。


何らかの武術をしていた。


呼吸の取り方が、茶道もしてないのに上手なのである。


だが、ここ数年は、仲間は血管のつまりで手術を何人も受けた。


いつも倒れるときは、そばに人がいたのですぐ病院に運べ、無事帰還できた。


5人も続くと私も気になる。


姉は、夜は普通に話していたのに、朝に突然亡くなる。


心臓は、若い時直したという安堵感があった。


油断であった。


心臓も母からの遺伝らしい、この頃は私の左胸がちくちく痛む。


それで、去年の暮精密検査を受けたのだ。


心臓は、ストレスがいけない。


今はタバコも止めて、バス停に出る必要はないが。


やはり歌うとなると、真夜中のこの位置がいい。


自動車の音で、唄はかき消される。


呼吸を整えながら、ゆっくりの裕次郎の唄は心臓に良いと体感できる。


吸う息、吐く息、これが一つになる。


人間、五体は方一寸、3センチ四方の箱が命である。


姉もいない。


金沢業躰も初釜の打ち上げで、60で亡くなる。


鎌倉の和尚は、50代で講演中に逝ってしまう。


対外は心臓である。


これほど休みなく働いてくれている心を、私は休ませるのが茶道とこの頃思う。