母は90近い、今は記憶が娘時代に戻っている。


この頃、やっと歩けるようになり、昼間は一人で俺流ラーメンを食べている。


カロリーが高いので、昔だと文句を言うところが今は言えない。


理屈ではない。


好きなものを食べ、好きな場所で暮らす。


母の最期の希望。


胃癌は5センチ、5ミリの厚さ。


もう胃袋を破っている。


いざというときの約束も病院と出来ている。


最後の一月に痛みがでたら、緊急入院。


私は、ここ毎日壊れた橋を渡るような気分であった。


母は、そんな弱い私を御見通し。


まったく元気そのものなので?


こないだはお茶のお点前をじっくり一時間も見ていた。


娘時代の、茶道のお稽古を思い出していたのだろう。


元気な時は、河岸に行き、懐石の材料を仕入れて、お茶事の料理を作ってくれた。


今思うと習っておけばよかったと思う。


魚河岸で烏賊の目利きだけは教わった。


やはり50年の河岸の年季には敵わない。



母の時代は、お茶もお花も女学校では正課。


お正月には、毎年床の間に立派な立花を活けていた。


母が言うには、お茶の授業は30分。


長刀は4時間も鍛えられたという、まさに本土決戦。


だが、母は戦は嫌い。


お茶のお稽古は学校の帰りに友達と通ったという。


親友のその友達は元気で、今も教えている。


教室にもいらして、棚に真っ赤な棗があったら怒られてしまう。


80を過ぎても、鍛えた方たちは違う。


4歳の女の子は、お年寄りに優しい!


皆さんの邪魔をしていたが、母は気分よく過ごしたようだ。


息子の私は、ありがたくて感謝の気持であった。










妻がお花の片づけ、私がツリーを仕舞い。


今日は外食になる、10時を過ぎていた。


母は8時には寝て、朝4時に起きる。


これには合わせられない。


体調の良くない家内を鰻に誘う。


ここのところ、事件続きで眠れていない。


母も私も、家内が大学病院に付き添ってくれている。


そこに、お花の支部のコンクールが数週間続いた。