利休さんの手作りの茶杓として、最高の評価のあるもの。
淀川から船で京都を去る、利休さんを見送った古田織部と細川三斎。
秀吉に知られれば、大変な事になった。
それも顧みず、師を送る心境はどうであったろう。
利休には織部に泪の茶杓を形見に、
三斎には、命の茶杓を送る。
私が若い時に、見たのは織部の泪の方であった。
名古屋の徳川美術館。
当時も、利休さんは自分の作った茶杓には銘を付けなかったという。
利休さんの普段の茶杓は、下削り師が二人いた。
今の家元さえ、黒田正玄さんがついている。
だが泪は、利休さんが自らすべて削ったと言い伝えられている。
茶杓は、その人が出る。
じっくり見たので今でも、泪は眼に浮かぶ。
追い筒とあるのは、織部が泪の茶杓を新しく作った塗の筒に入れて、位牌にして拝んでいたものという。
それにしても、師と弟子の愛情が深く感じられる。
唐物のお盆に載っているのは、天下一の唐物茶入れと評判の松本肩衝。
利休さんの愛用であったが、近年では青山の根津美術館の所有となる。
この茶入れにあった茶杓を利休さんは手作りで作っている。
茶入れはその後奈良の塗り師、松屋家に渡り、松屋肩衝と言われている。
茶杓は、銘は松本で変わりない。
この茶入れと茶杓をわざわざ見に来たスイスの一行があった。
お話をして、名刺を頂くとなんとスイス大使ご夫婦である。
日本人でも、なかなか見ようと思い立たない、難しい美術品に興味を持ってくれたことが嬉しかった。
利休、世界に通じる日本の誇りなのだと改めてきもに命じる。