秋に食欲が出てきた。
昨日は、秋刀魚が太く長いのが入った。
さっそく焼いたが、うっかり大根をきらしていた。
妻は文句を言わないで食べてくれた、真夜中である。
今日は、また秋の味覚と思った。
母が元気な時は、今頃は親戚が送ってきた松茸でご飯を毎年生徒さんの分まで炊いてくれた。
自慢の木の大きな御櫃を抱えてきた。
往復2回である。
本当に美味しかった。
出汁は前日に作るという。
松茸を買いに行くが、今時はない。
魚河岸まではしんどい。
松茸の釜飯のもとを売っていた。
これで作ろうと思う、母に教わってないので困るが、初めての炊き込みご飯である。
母の隠し味は分かるが分量は知らない。
まあと、日本酒をたっぷり、味醂を控え目にごま油は数滴。
問題は新米のとぎ方、お米は時期で水加減も違うし、水に漬けておく時間も違う。
水分を含んだ新米は難しい。
何度も一文字の懐石のご飯が上手くいかずに、炊き方を研究したものだ。
それでも炊き込みご飯は、母には敵わない。
上手くできたら、母に持っていこう。
怪我で寝たきりの母も、今は車椅子に掴まって歩けるようになった。
妻が支部の役員会で遅く、待ちきれずに食べてしまう。
一汁三菜。
味噌汁は昨日の残りのキノコ汁。
向付けに酢の物。
明太と昨日のサラダ。
兎に角、何とか懐石風である。
茶碗を両手でとり、箸を小指にはさみ、持ち替えて本来は一文字のご飯である。
ご飯を一口味を見る。
一番おいしいところを亭主は出して、二本の杓文字でご飯を挟み一文字にしたのである。
釜の縁のご飯を掬うのである。
これだけで、お寺では中食といい、お昼に摂るが西洋のディナーにあたる。
この素材はすべて手作り、前の夜から準備が始まる。
朝は朝粥でだんだん胃をならしていくという。
一番作務で体を動かす、昼にメインなのである。
今は薬糧ーやくじきといい、夜の空腹をしのぐために体に良い食事を頂くという。
それこそ懐石のもと、空腹をしのぐため昔僧は温めた石を懐に飢えを凌いだという。
現在でも、正式な懐石では魚も肉も使わない。
私のお料理は、ちょっと贅沢なのである。