夏休みは、地元でも夏を堪能できた。
長い間、記憶の回路が壊れていて、茶道のイメージトレーニングが出来なかった。
その脳の活路にたくさんの雑念が固まりあって、奥伝や難しい茶箱の手順を想像できなかった。
この1,2年はそのために手を動かして、徹底的にお稽古した。
実力は、前以上に上がった。
だが、断然時間が足りない。
創造力と第三の目を使う円相が出来て、やはりたくさんの種類をお稽古できるのである。
本や活字にはない。
記憶の不思議な、連鎖である。
とくに茶箱には、このコツが解らないとノートや本に頼るのは行けないと思う。
師に習い、習いつくして師が隠れてしまったときに、忘れたこと自信のないことをノートや本で確かめる程度がよいが、本来それもない方がよい。
昔から、教えていない手を本で読んできてお稽古でする生徒さんがいるが、正直教えている方がすべてわかる。
前の日の読んだ記憶で手が動いている。
教条主義と、一見してしまってもいいが、熱心なせいと思い、憐み深く指導していく。
本は先に先に行こうと見てしまうと、おおいに教えずらい。
そんな事で今年は悩んだ。
それ以外でも、クタクタ。
そこへ夏休みである。
助かった、休んだ。
毎日それでも教室にいき、掃除やらワックスやらしてしまうが、頭のなかはおおいに休まった。
ラッキーであった。
タイミングも良かった。
ブログも三日お休みしたら、楽なことにきずいた。
ブログも無理をして毎日書くのも、内容的に問題である。
これからは、新しい文体、歴史的な勉強も踏まえて茶道史を研究して行こう。
体験もどういう記事がよいか、もうひとひねり考えよう。