茶道体験教室 パート4  生徒さんとの日々のしおりとして、このブログを使わせていただきたいと思います。

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なかなかデジカメでは、月は撮れない。


月も雲無きは嫌にて候とは、室町時代の茶聖―松本珠光の言葉である。


今日はつくずくその言葉を噛みしめた。


月は満月であったが、いきなり雲の中から顔を出すかと思うと、また雲の中に隠れてしまう。


こんな月見は珍しい。


みるみる東の空から西に雲のなかを移動。


この雲の流れが、確かに茶人好みの唐物の茶入れの柄である。


雲水。


何物も、心に置かない、無心の境地。


雲のごとく、大空に浮かび流れていく。


どこへ行くのか?


無心では、目的もない。


只今の修行にすべてを投げ打つ。


結果は問題ではない、五体を今この時に精一杯動かせる感謝を神仏に祈る。


未来は、今この時の積み重ねである。


頑張った修行は、お釈迦様の六神通ではないがいつか実を結ぶ。


その喜びが侘びさびの境地だと、私は40年を顧み、思う。


いつか雲一つない全寒月を見るだろう。


目を閉じても五色の光におおわれるという。


正直、私はまだ紫と緑の光だけである。


これも達磨大師の教えであるが、決してこの光で慢心はいけないという。


毎日の作務は、悟りが目的ではないという。


修行そのものが目的、悟りは副産物でちっとも偉くないという。


流石、達磨さん!