教室が終わり、家に帰ると玄関から中に入れない。
大きな家具が届いたという。
予定より一週間早く、届いた。
30年使ってきた家具が壊れたが、それでも使っていたのだが大震災で戸棚が開かなく、もうダメと言いながらも一年半使ってきた。
兎に角、やっと家具の間を抜け、家に入る。
家内もいきなり届いた家具で、古い家具を分解中、私に呼ばれて教室に飛んできた、家内の曜日の勘違いで、今日はお稽古のない日と思ったらしい。
そんなわけで、私が戻ると家は大変なことになっていた。
整理整頓は後回し、まずは夕飯!
二人で夕飯を食べてから片づけようと、気が付くと真夜中。
ギブアップ。
結局、明日にする。
何とも、ものを捨てない人生はホントにたくさんの想い出の品々があるがこれも宝もの。
今日は、また新しいワンちゃんが登場!
家内が、子狸が冬眠して、淋しがっている私の為にプレゼント。
ホント,よく子狸に似ている。
狸くんの残りの餌をもらっていた小鳥たちには、今は私の朝の残りのパンをあげている。
最近は、雀の親子の他に鶺鴒の夫婦、尾長、兎に角野鳥が集まる。
これは、私を癒してくれる。
人間嫌いになりかけた、そんな私に野鳥は懐いてくれる。
私も変わり者、半年の小鳥たちとのお付き合いで、その飛び方で種類が分かるようになる。
大都会のオアシス、数本の大きな楠のお蔭。
まだまだ、都心も捨てたものではない。
山から、動物がくる。
人間は無関心。
ちょっと淋しい。
大地は生きている。
誰のものでもない。
大地が砂漠化することの悲しみは、小鳥たちだけだろうか
ローマ、エジプトもエネルギーを求めて森林を伐採した故、民族の移動で滅びたという学者もいる。
山が崩れ、小動物が街に避難。
人間の思い上がりを学ぶのは、文化人類学。
茶道も総合芸術というが、茶の湯は本来、一輪の花に、盆石、師匠の書に宇宙の大自然を感じて、自分のなかの宇宙を発見し、生まれ変わるもの。
一点前して、おわると前の自分と違う何かをつかむと利休さんはいう。
なかなか、これは今の私も難しい。
それでも、毎日平点前で挑戦!
お点前は、基本は準備と後片付け。
これが最近は、なかなか教えられない。
だが、これを教えなければ本当のお茶にならない。
兎に角、大木のお蔭の一枚の紙でも、新しい感覚で無駄に使わないように指導している。
一枚の紙でも人々が無駄に使えば森が消える。
それはいつしか、大きな文明が消えるのである。
大気、大地の循環は緑にかかわる。
明日は、大きな無駄を出さないで、まず我が家から30年ぶりの整理整頓である。
たった一枚の紙も、どんなに大変か、私は若い時製紙工場で見てきた。
動物たちの追われた森を思うと、いつかは森を昔以上に戻そうとおもう。
子供たちが、安心して楽しめる森は平和の象徴。
小鳥たちが、唄えば子供たちも唄う。
昔は、当たり前の風景だった。
歳をとると、夢を見るのである。
小犬君に名前を付けた、猿飛佐助の佐助。
ホントに冬眠している小狸くんに似ているのである。
朝になってしまう!