目が覚めると、雪は小雨に変わっていた。
昨日早朝から昨晩にかけて降り続いただけあり、2階の窓から望む街は何処ぞの雪国に来たのかと思う程に圧巻なものだった。
一週間前に記録的な大雪に見舞われて驚いたばかりだが、その記録が溶け切る前に『こんなもんじゃないぞ』と脅威を示しているようにさえ感じた。
それでもこの地域で積雪が珍しいことに変わりはないので、見慣れない光景を眼下に子どものごとく胸は高鳴った。
しかし、同時に今朝は大人特有の憂鬱さも伴っていた。
うちの職場は利用者の送迎を行う通所介護にも関わらず、大雪であろうと送迎車のタイヤにチェーンを巻きつけて、やる気満々で営業に臨む。
幸運なことにこれまで、雪の影響を多大に受ける日に限って、私は休日をもらっていた。そのため厳しい状況下での出勤を免れてはきたのだが、今日ばかりはついにその運も尽きた。
前日から覚悟を決めて、交通機関の影響も考え早めに家を出発した。
普段に増して厚着はしてみたものの、玄関の外に出た途端、痺れる様な寒さに身は縮こまり、空気の冷たさが鼻腔をつく。
こんもりと雪を重ねたアパートの階段を慎重に降りて、歩道に沿って駅まで真っ直ぐに延びる商店街を見渡した。
思わず、おぉっと声が漏れる。
見事に一面真っ白だった。
歩道も車道もあったものではない。
置き去りにせざるを得なかったのであろう車が、雪景色の中に文字通り埋れていた。
通りに面した家屋や商店では朝から雪かきに追われ、開けた出入り口の両脇には成人の胸の高さほどの白い山が出来ている。
ある家の庭先では、その山を利用してかまくらを作成していた。目を覚ました子どもはさぞ喜ぶことだろう。
油断していると、電線から雨粒のような雪解け水がポタリと降ってきて、鼻の頭を濡らす。木々も同様に、濡れた葉から雨を落とす。
土曜だからか、こんな天気だからか、普段に比べると通行人は少ない。
それでも、私同様に向かうべき目的地を目指し、慣れない雪道をおぼつかない足取りで人々は進んでいく。
その姿がまるで氷上をよちよちと歩くペンギンのようにユニークで、思わず笑みがこぼれる。
振り返ると、私が踏みしめた箇所にくっきりと足跡が残っている。
いつかは溶けて消えてしまう痕跡。
それでも確かに、私がそこにいたという軌跡。
感慨深いその光景を眺めながら、かるく深呼吸をしてみる。
肺に吸い込んだ姿なき冷気が、私の体内の熱を纏って白く柔らかな姿を現し、空気中に還り、溶けていく。
私と季節とが、一体になる瞬間。
関東が大雪に見舞われる最中、対して本来雪国である北陸地方は、気温こそ低いものの、天気には恵まれているという。
それでも彼の暮らす北陸が本気を出したら、この程度の積雪では済まないだろう。
そんな雪国で、共に暮らす日が訪れたら。
生活はそれまでのものとはガラリと姿を変え、真っ白な雪のように全てがリセットされる。
同時にそれはスタートとなり、不器用な足取りで、一歩一歩、私は足を踏み入れていく。
そうして、新たな軌跡を刻んでいく。
意気揚々と進んでみたところで、慣れない道に足をとられ、無様に転ぶことは目に見えている。
そんな時、あなたが手を差し伸べてくれたなら、笑い皺たっぷりに茶化してくれたなら。私もつられて笑って、少々の痛い思いはやり過ごせる気がしてくる。
笑い声は白く熱を帯び、季節の中に溶けていく。
その事に安堵した時、光を跳ね返すほどの純白の雪の中に、あなたが映える。
私があなたを見失わないで済む方法は、これしかないのかもしれない。
運転を見合わせている電車をホームで途方もなく待ちながら、そんなことに思いを巡らせていると、携帯電話が震えた。突如、現実に引き戻される。
着信は職場からで、本日の営業は中止との連絡だった。
思わぬ朗報に違いはないが、すでに駅まで来てしまっている。まだ朝の8時半とはいえ、苦労してここまで歩いてきたというのにこのまま帰るのではやるせない。
昼食用に持参していた弁当袋を駅のロッカーに預け、雪の街に出かけることにした。
今日をどんな風に生きようか。
そしてまた、不器用に歩く。
季節に置いていかれないように。
この一歩が繋がっている未来で、
あなたを、私自身を、見失わないように。
