手術、あれから3年
あの手術から3年間が経った。
具合もよかったため、それほど差し迫った日々を送ることはなかった。
仕事でも、大きな自信を得るまでに至っていた。
そんなある日、急ににおいであの日がよみがえってきたのだった。
そう「てんかん」だ。
一度運ばれたら癖のようになってしまい何度も倒れてしまう日々を迎えたのだった。
音・におい特にこれらには弱かった。
特定の音はない。特定のにおいはない。
厄介なのだ。
厄介が故の「てんかん」なのであろうが顔半分をすりむいてしまうようなケガをしたこともあった。
駅のホーム、昼食の最中、歩行中と様々な場所に潜んでいる「てんかん」だった。
ひどくは、年に50回以上運ばれたこともあったのだ。
年に50回という数字は、年間約52週なので、それの毎週運ばれている計算だ。
恐ろしくてたまらなかった。
このまま死んでしまうのではないだろうか?
このまま死んでしまうのなら自ら手を下すか?
キレイに死んでしまいたい。
死ぬのは苦しいのだろうか?
さまざまな思いが頭を駆け巡った。
何度も自分で命を絶とうともした。
しかし、何か違った!
何だろういろんな思いが様々に膨れ上がっていったのだ。
そうか、あの時だ!!
私が最初に運ばれた時のあの世だった!
「どんなに苦しくてもあの場所へ行けばみんな一緒だ!」
それからは、多少は吹っ切れた!
医者と一緒に自分に合う薬を探していき、明るく対応できるようになったのだ。
明るくても暗くても同じ!
それだったら、明るくしていよう!
明るくても暗くても倒れるのは一緒!
じゃあ、明るいまま丁寧にされるほうがいい!
暗くても、明るくても薬が見つかるかるかどうかは変わらない!
じゃあ、明るくしていよう!
ある程度ここで踏ん切りがついたのだろうそれからはつらいことはつらいとしても、前向きなつらさを選ぶようになったのだ。
あの手術をすると脳が腫れることはわかっていた。その為に、薬も何を使うかが決まってくるのだ。
逆に言うと、この病気だからこの薬が効く!
そういった概念をなくしてしまう、難しい病気なのだ!
主治医もそれはわかっていた!
ゆえに慎重にアレコレとことなる薬を試していき、どれが一番体に対してマッチングするのか、気の名がいジクソーパズルのようなものであった。
現在はマッチングしているということは、二人の努力は形になったのだろう。
しかし、代償も大きかった。
倒れるたびにケガをする顔などは絆創膏で治るものの、肩の関節や体中あちこちをぶつけ、つらい目に遭ってきた。
よく耐えた、自分の身体よ!
