現在付き合っている病

今現在も私は、多くの病と闘っている。

 

3年...、もう少し前からだろうか耳の形が変形していく、「再発性多発軟骨炎」という病に侵されてしまった。

 

 

1件目に診てもらった、耳鼻科では「ここではもう投与できる薬の量を超えてしまった」と紹介状を書いてもらうことになった。

しかし、あとから考えればこの先生の判断が一番正しかったのだろうと思う。

 

あとから診てもらった皮膚科や、総合病院の皮膚科においては事故と同じくらいの薬を投与していたのだった。

 

10月の父の命日のちょっと手前に帰郷した時に初めて分かったのだ。

妹がお世話になっている耳鼻科の先生に診てもらったところ、「これは、薬によってその部分は良くなるかもしれないけど、他のところを壊してしまうかも...」

 

そして、紹介状を書いてもらい別の病院へ...

「殺されるよ」

一言だった。

 

その時に痔ろうの手術をやった後でそこも併せて診てくださった医者からは、「この外科で診てもらっている痔ろうもこの薬からだろうね」。

 

衝撃だった。

 

同じ総合病院の部長に対して紹介状を書いてくださることになった。

 

 

それを見た3人の医者のうちの2人がこう言った。

「はぁ~...」

 

さすがと言えばさすがではあった。

その説明を読んだだけで脳外科と外科のドクターをうならせたのである。

 

そして、問題の皮膚科は担当の医師が変わっただけで詫びるでもなく、淡々と診ていき流石に薬の投与を少なくしたのだ。

いや、少なくしたというよりも少なくせざるを得なくなったというのが正しいところだろう。

 

同じ病院内に監視の目が二つもあり、苦労しながらの治療になった。

 

痔ろうですら、この薬の投与状況を見ながら何度も手術をすることになってしまったのだから。

 

そして、この薬の投与は別のところへの障害を与えていた。

 

目だ!!

 

強膜炎という病を引き起こし、充血すると目に注射を打ったり、日ごろからの点眼と大忙しなのである。

 

これも失敗したのは最初に診てもらった医者だった。

目の軽い充血で3~4日目薬をさせば治ると言われたので、最新を受けて納得はしていなかったのだが、完治したと言われほっとしたところであった。

 

耳と目は非常に近く、耳に障害がある場合には目にも出やすい。

 

「なぜ、納得していなかったのにその医者を信じた?」

強い言葉での医者の怒りにも似た誤診だった。

 

そして、またこちらも現在通院中だ!

 

ひとつの病気からあちこちに障害が出ることはある。

しっかりとその辺も見ていかないと命を失うことさえある。

 

そして苦しんでいる私がいる。