【匠の技】照明・浜崎喜里の素顔に迫る!!<突撃ロングインタビュー> | 下北沢MOSAiCのブログ

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ライブレポートやMOSAiCでの出来事を綴ります。

「MOSAiCの照明ってすごいよね~」
「初めて出演したバンドなのに、照明がキメキメでビックリした!」
「照明が曲の雰囲気と合ってて素敵でした!」

な~んてことを、お客さまやバンドさんから言って頂けることもしばしば。
MOSAiCの照明は灯体の数もキャパの割に多いほうで、一見ゴージャスに見えるのも間違いない。
しかしそれだけでは宝の持ち腐れというやつで、実は一人の男の並々ならぬ努力とその匠みの技が、今日のMOSAiCを支え続けていると言っても過言では無いわけです。

さて今回のブログは、そんなMOSAiCの現場チーフでもあり、7年間に渡りMOSAiCの照明を守り続けてきた男、そう浜ちゃんこと『浜崎喜里』に迫りたいと思います。



浜崎喜里(29歳) 

彼の照明オペレーターとしての道は、決して容易いものでは無かったという。


取材は2013年6月21日-下北沢某所にて
仕事終わりの彼は、生ビールを一杯美味しそうに飲み、快くインタビューに応えてくれた。


照明を始めるきっかけは地元高知でのアルバイトから

--照明オペレーターを志そうと思ったきっかけは、何だったのですか?

浜崎「きっかけはそうですね、地元の高知でABBEY ROADというオールディーズのライブハウスでアルバイトをしていたんですが、そこの店長が照明をやってて凄くカッコ良かったんですね。センスが良いと言うか、上手かった。それを見て自分もいつかはライブハウスで照明をやってみたいと思うようになったんです。」


--それで専門学校に通ってみようと?

浜崎「そうですね。高校を卒業してからしばらくバンドを続けたりしていたんですが、どうせなら東京へ行って、一から照明を勉強してみようと思って上京しました。」

--バンドを組んでいた頃の話を少し聞かせてください。

浜崎「バンドは高校からハタチくらいまでですね。高校時代は年に4回くらいしかライブはやらなかったんですが、卒業してからは結構精力的にやってたんですけど。」

--じゃあお遊び程度に?

浜崎「いや、結構本気でした(笑)パートはベースだったんですけどね。」

--上京して専門学校へ通ってた頃の話を聞かせてください。

浜崎「うーん、あまり覚えてないですね。2年通ったんですが、学校だと実際にオペをする機会もあまりなくて、やっぱり現場で実際に体当たりで学んで来たという感じですかね。もちろん今も勉強中ではありますけど。」



地元高知県から単身上京した浜崎は、東放学園照明クリエイティブ科を卒業し、求人雑誌を見てMOSAiCとの運命的な出会いを果たす。


始めはドリンクから


--MOSAiCに入った頃は、すぐに照明スタッフとして働き始めたんですか?

浜崎「いえ、始めはドリンクでした。ちょうど当時の照明スタッフの方が辞められる時期だったんですが、そのタイミングの兼ね合いで、始めは現場に入らせては貰えなかったですね。」



MOSAiCに入ってもすぐには照明卓を触らせてもらえなかった浜崎。
2か月間ドリンクカウンターを任されてから、ようやく彼にもチャンスが訪れる。


--現場に入って実際に照明をやり始めた時の気持ちはどうでしたか?

浜崎「いや~嬉しかったですね。でも無我夢中だった記憶しかないですけど。(笑)最初は今の柳さんのように、当時の店長がMOSAiCに出ているバンドさんを呼んでくれて、何度か練習を重ねていました。」



MOSAiCの照明スタッフとして、新たな道を歩み始めた若き日の浜崎。
しかし当然のことながら道は険しく、そんな彼の前に立ちはだかった最初の壁は想像以上に大きく、乗り越えるのにとても困難なものだった。


乗り越えられない壁


浜崎「当時は夢中でオペをやってたんですが、周りからも”浜崎の照明はパッとしないね”と言われ続けていたんです…。何がダメだったのかすら分からなくて。先輩たちにもなかなか認めて貰えなかったですね。挙句の果てには”浜崎は照明に向いてないんじゃない?”とまで言われてしまって…、その時期が辛かったですね。」

--具体的に何が一番辛かったんですか?

浜崎「自分としては今日のオペは良かったんじゃないかと思っても、バンドさんからクレームが来てしまったり、まだよく分かってなかったというか…、バンドと一緒にshowを作るというよりは、自分の好き勝手にやり過ぎてたのかも知れません。バンドからは”手元が暗くて演奏しずらかった”って言われることが多かったですね。」


照明に関しては、とにかく集中力と勘が頼りだと浜崎は言う。
若かりし頃はまだそこに気づけずに不安定な状態が続いてしまった。



浜崎「当時は集中力も無かったですね。そこでミスがあってクレームに繋がったりだとかありました。白い壁に対する照明のバランスも全然でしたね。」

--不安定な時期は結構続いたんですか?

浜崎「うーん、続きましたね。なかなか乗り越えられずにいました。あとはガムシャラな照明のせいでライブを台無しにしてしまったりとか、つまりやり過ぎ感というか。照明がバンドに勝ってしまうというか、その辺りもクレームとして結構ありましたね。今なら分かるんですが、やっぱりバランスが大事なんですよね。ジャンルにももちろんよりますが、バンドと照明はとにかくバランスが大事なんです。」



そんな苦悩の日々が続く中で、いまの浜崎を語る上では避けて通れないバンドと出会うことになる。
それが”my way my love”だった。


my way my love


my way my loveとの出会い


浜崎「MOSAiCにmy wayが出ることがあって、そこで先輩から”やってみない?”って言われたのがきっかけでした。いま思うとmy wayが救ってくれたというか、ひとつの転機になりましたね。」


my way my loveと言えば”日本のソニックユース”とも言われた日本だけに留まらず、アメリカやヨーロッパにも拠点を持つ日本のインディーズバンドである。当時の浜崎にしては相当の大役だったに違いない。


浜崎「いざmy wayをやってみて、偶然にもそれがハマったというか、バンドさんにも気に入って頂けて。自分の中で何かが大きく変わってきたのはその頃ですね。当時型にハマった照明ですら出来て無かったんですが、my wayの時はとにかく思い切ってやろうという意識が強かったんです。その型にハマらない照明が音楽ともハマったというか、とにかく自分でも気持ち良かったんですよね。」


これを機に、彼はmy way my loveから幾度となく照明オペレーターの依頼が舞い込むようになっていく。そして初めての乗り込み現場がzepp tokyoだった。


浜崎「いやー緊張しましたね!あんまり覚えてないです!もう夢中だったんで。当時の照明の先輩に付き添ってもらって現場に入ったのを覚えてますね。」

--まだ駆け出しの頃ですよね?相当怖かったんじゃないですか?

浜崎「そうですね。でもすごく貴重な体験をさせて貰ったというか、本当にmy way my loveさんには感謝してますね。」


勢いのままにzepp tokyoを見事にやり遂げた彼は、次第に自信を身に着けて行く。
その頃から次々に、いろんなバンドから照明の依頼が来るようになった。

当時の彼の照明は、代官山UNITで行われたmy way my loveライブDVD 『CAUTION TAPE』 にもきっちり記録されている。

CAUTION TAPE (2009年11月18日/ZEGY-3002/Graveyard Label)


そこから浜崎は、持ち前の勘と思い切りの良さでMOSAiCの顔へと成長していく。


バンドメンバーの一員の気持ちで

浜崎「ホメられると嬉しいですね、やっぱり(笑)当時の店長は照明にも厳しい方だったんですが、それも今思うとすごく役立っています。」

--今ではバンドさんからも”照明はぜひ浜崎さんで”と言われることが多くなりましたが、照明をやる上で一番心がけていることは何ですか?

浜崎「心がけていることはやっぱり、”バンドと一緒にライブをする”という意識ですね。バンドがどういう風に自分たちを見せたいのか、こちらがしっかり汲み取ってあげて、あとは30分のステージであればその30分は自分もメンバーの一員としてそのshowに挑むという気持ちです。」

--たいていのバンドさんは、”この曲の照明はこうして欲しい”などいろいろ要望があると思うのですが、それをすべて汲み取っていざ本番となっても、打ち合わせる時間も無くて大変だと思うのですが…その辺りはどうですか?

浜崎「とにかくリハーサルから集中してますね。セットリストに照明の要望が書いてあっても、リハーサルで全曲演奏してくれるとは限らないんで、そこは勘です。本番ではイントロでどこまで掴めるかというのがポイントです。」

--リハーサルではどういう部分を常に意識されてるんですか?

浜崎「曲のサイズですね。あとはリハーサル中にバンドさんを見て、曲の色味も決めちゃいます。誰でも初見では難しいのは当然なんですが、あとはとにかく勘です。」


リハーサルでは、彼しか分からない文字がセットリストに書き込まれていく。


リハーサルで掴む


--セットリストにはご自身で何を書いているんですか?


浜崎「もう殴り書きなんですが、曲のイメージとか照明のプランですね。メモっておく感じです。」

--バンドさんからの要望に関して、どういったものだと有難いとかありますか?

浜崎「そうですね、”この曲はこの色で”というだけだと、あまり遊びが効かなくて正直物足りないというか。一番有難いのは曲の世界観を書いてもらうことですね。例えば”青”を使って欲しいという書き方ではなく、”水族館”であったり、”深海”とか書いて貰えるとすごくこちらも試されてる気がして遣り甲斐がありますね。あとは”砂漠”とか。”ロックです”とか”バラードです”って言うのも、少し物足りないというか、まあそこはこちらのエゴですけど(笑)」



--事前に音の資料を貰うのは助かりますか?

浜崎「あるに越したことはないですね。ただリハーサルの音源よりも、ちゃんとレコーディングされた物だと尚分かりやすいです。ただ音源とライブはやはり違うことが多いので、そこはリハーサルで確認しています。」


そんな中、現店長である森本氏は彼の照明についてこう語る。


森本「いや~彼はね~、感性だけでやってますよ感性だけで。あとは勘ですか。野生の勘。高知の海で培った野生の勘ですよ。」


現MOSAiC店長:森本氏


森本「彼はね~、思い切りがいいですね思い切りが。思い切りが悪いのは女性に対してだけですね!あは!」


そんな浜崎喜里も、今年でMOSAiC勤続8年目となる。


緊張感のあるバンドが好き

--浜崎さんから見て、照明が映えるバンドさんというのは、どういうバンドのことを言いますか?

浜崎「とにかくライブで緊張感のあるバンドさんはヤバいですね。こちらも集中力がグっと上がります。あとは照明と同じですが、型にハマらないバンドさんは照明の遣り甲斐があります。」

--ご自身の照明の売りはどういった所ですか?

浜崎「うーん、赤ですかね~。赤が好きなんで、その色味とか感じて頂けると嬉しいですね。」

--MOSAiCは壁が白いことでも有名ですが、その上での難しさなどありますか?

浜崎「とにかく白壁が特殊なんで、明るくなりがちなんですよ。さらに暗くなりにくい。そこは卓を触る上でフェーダーのさじ加減が大事になってきます。あとMOSAiCはブースが高い位置にあるので、そこから見える照明と実際お客さんが見てる照明とでは、全然見え方が違うんですね。そこは経験でなんとかカバーしています。」



照明に対する思いを快く語ってくれた浜崎氏。
一番気になるのは今後の人生設計についてだ。


人間的成長

浜崎「うーん、一昨年からMOSAiCの現場チーフになったんですが、まだまだ自分も未熟なんで、照明以外の部分でももっと経験を積んで、人間的に成長して行きたいと思っています。あと柳さんがPAを練習し始めたので、少しでも早く独り立ちできるよう支えて行きたいですね。」

--照明オペレーターとしての目標はありますか?

浜崎「夢はでっかくという事で、zeppはリベンジしたいです!」

--MOSAiCに出演しているバンドさんが、早くzeppのステージに立って頂けると良いですね。

浜崎「それは嬉しいですね。その時はぜひ呼んでください!」

--最後にMOSAiCの出演バンドさん、お客さん、このブログを読んでくれてる方に何かメッセージはありますか?

浜崎「これからも謙虚に頑張りますので、一緒にやって行きましょう!良い仕事しますので、何でも言ってください!」

--ありがとうございました。

浜崎「ありがとうございました!」


長い取材にも関わらず、真剣に受け答えしてくれた浜崎氏。
お酒が進むと、やたらとトイレが近くなるという事で路地の陰で立ちションベンをすることも。



お茶目な一面が売りな浜崎氏。

これからもMOSAiCは、彼の照明で沢山の人に夢と感動を与えてくれることでしょう。
ますます彼の仕事から目が離せませんね!


-追記-

来る7月23日にmy way my loveさんがMOSAiCに出演されます。
浜崎氏の照明がどのように冴えわたるのか必見です。


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浜崎喜里(はまさききさと)
昭和59年3月25日生まれ 高知県出身 AB型
趣味:お風呂 特技:テニス
好きな食べ物:カレー 嫌いな食べ物:納豆
休日の過ごし方:お酒、ショッピング


2013年6月 下北沢にて