看板 | 日記テイストで織り成す、夢と幻と妄想の儚い三重奏

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「鳩にエサを与えないで下さい

鳩にエサを与えることで鳩が自然な状態をはるかに上回って増加してしまい、糞などの公害のため去年は一年間で3000匹ものドバトが処分されました、これ以上不幸なドバトを増やさないために鳩にエサを与えないで下さい」

と書いた看板を見た。偽善の匂い漂う看板である。

おかしい、いろんな意味でおかしい。


鳩の自然な状態の数とはいかに求めたのか、

そもそも鳩にとっては都内のようなコンクリートが乱立した状態は自然な状態なのか、

「自然な状態」とやらをはるかに上回って増加してしまっているのは鳩ではなくむしろ人間ではないのか、

「三千匹ものドバトが処分されました」と他人事のように書いているが処分しているのはこの看板を立てたあなた方(人間という意味なら我々)であるはずだし、

「公害」などと最もらしく書いてあるがそれは我々人間にとって迷惑だから公害なだけで鳩にとっては公害でもなんでもない。「自然」な状態であるはずだ。


また「不幸なドバト」などという浮いた表現も目障りで、エサを与えられたことで幸福な鳩は本当にいなかったのか、子孫を残すことが彼らにとって幸福だとすればエサを与えられて増加することこそが彼らの幸福ではないのか、エサを与えた事によって三千匹殺された鳩がいる分エサを与えられた事によって三千匹以上の鳩の生命が誕生しているのではないか(自然な状態とやらが正確に推測されているとすればこれは正しいはずである)

このように考えても鳩の幸福、あるいは不幸について知りえない我々に向かって「不幸なドバトを増やさない」事を論拠にエサを与えないように求めるという綺麗事は現実的には困難であると言わざるを得ない。


別に自分は鳩を殺すなと言ってるわけでも、鳩にエサを与えるひとに賛辞を与えているわけでもない。


鳩が増えて公害が増えるならばやはりエサを与えるべきではないし、それでも増えてしまえば処分してしまえば良い、それは確かだ。


しかしそれらは「不幸なドバト」を増やさないためではなく、我々人間がより生きやすい都市をつくるために鳩を増加させたくないならそうすれば良いし、税金を抑制するために鳩を殺さないですむならそうした方がよい、それだけの事である。

我々人間は極めて利己的に生きている。

自分のような道徳家になるとそのことから目をそらし綺麗事を言う人間を見ると歯が浮くような思いがする。

ハトの増加を望まない旨の看板には「不幸なドバトを増やさない」事を論拠にするのではなく「我々が生きやすい」事を論拠にすること、それこそが本当の不幸なドバトに対するせめてもの礼儀なのではないか。


だからこそ我々は多いにアリを火あぶりにするべきだし、水責めの刑に処すべきである。


昨日はゼミ発表を翌日に控え現実逃避としてこんな事を考えてました。かしこ。