ウィーンって何故音楽の都になったの?
ウィーンの音楽は皇帝の宮廷楽団から貴族たちの楽団を通じて地方へと広がり、またハプスブルク領内の色々な国の音楽が首都であるウィーンに集まる。 そのためウィーンの音楽はますます発展していったのだろう。 それと同じように音楽家たちも、文化の中心地であるウィーンに集まったのではないだろうか。
ウィーン 音楽の都 いつから?
十八世紀後半のウィーンでは、宮廷や教会などによる支援、劇場の発展、音楽教育の普及と聴衆の拡大、演奏会や舞踏会の展開など、多彩な要素が相互に作用しながら、音楽文化が重層的かつ豊かに形成されていった。 膨大な同時代の史資料を駆使して描かれる「音楽の都」の実像。
ベートーヴェンがウィーンに行った理由は何ですか?
1770年にボンで生まれたベートーヴェンは、17才のとき、モーツァルトに師事するため初めてウィーンを訪れました。 しかし到着して間もなく母が危篤となり、ボンへ戻らなければなりませんでした。 その後モーツァルトは世を去り、22才のベートーヴェンは、ヨーゼフ・ハイドンに師事するため再びウィーンにやって来ました。
ショパンがウィーンに移った理由は何ですか?
一家は、ショパンが生まれて間もなくワルシャワに移った。 父がワルシャワに新しくできたリツェウム(高等学校)のフランス語とフランス文学の教職に就いたからである。 ショパンは、ワルシャワ音楽院卒業後、自分の力を試すために、1829年にウィーンを訪れた。