【自分がやらなければならないこと】

 

年末年始ぐらいから

著名な方の訃報を多く耳にします。

 

先ほどもエースのジョーこと

「宍戸錠」さんが亡くなられたと。

 

そしてさらに

昨年亡くなったプロ野球の名選手

「金田正一」さんのお別れ会がとりおこなわれた

というニュースがありました。

 

 

巨人の原辰徳監督がお別れの言葉

 

「私にとって父であり師匠であり、

前人未到の400勝投手、憧れの先輩でした。

たくさんの教えは私が後世に伝えていきます」

 

と述べた。

 

 

私にも

厳しく育ててくれた恩人がいます。

 

 

私にとって父であり師匠であり

 

イニシャルは「G」

 

ジャビット君じゃないです爆  笑

 

 

27歳のとき、

父親から新しくパン屋出すからと言われ

サラリーマン辞めていきなりパン屋の店長に。

 

会社を辞めたのが10月で

 

勤め先だった三重県四日市から

新店予定地の愛知県豊橋市に

引越しをしたのが12月

 

奥さんと籍を入れたのが翌年1月で

その1月末には

 

「サンクレール大清水店」オープン!

 

そんな簡単に

パン屋の店長になれるの?

 

 

当時はベイクシステムというものが

新たに開発され、修行をしなくても

パンを作る事ができるとのことで

結構気軽に考えていました。

 

 

というのもメーカーから派遣された

インストラクター(指導員)が

1ヵ月みっちり指導してくれて

一人前に育ててくれるんだそうです。

 

 

インストラクター照れ

※あくまでもイメージですが

 

 

 

素人同然の私でもパン作りができる!

 

完璧なマニュアルがあって

 

やさしく教えてくれるインストラクターがいて

 

大変だけど毎日充実した日々

 

のはずでしたが

 

 

実際に現れたのは

 

 

 

 

 

星一徹のような人でしたガーン

 

初日から「ばかやろう!」連発です

 

 

もう20年以上前の話なので

詳細は覚えていませんが、

 

しょっちゅう怒られた記憶ばかりです。

 

指導期間がすぎても

たまに現れてはお店を見るなり

 

「てんちょー、全然ダメだめだぎゃあ」

 ※名古屋弁

 

まさしく彼は

私にとって大きな壁でした。

 

まずは怒られないようにすること!

 

お店に常に気を配り

パンの並べ方や見せ方には

ほんとうにうるさい人でした。

 

なんとか認められたい!

 

ばかやろう!と言われなくなるには

どうしたらいいか。

 

いつも言われていたのが

厨房の中にばっかおらんと

ちゃんと売場に立て!ということでした。

 

お店(売場)の入り口まで呼ばれ

またいろいろと注意されます。

 

大事なメッセージ

 

パンが作れるようになると

パン作りの方がついつい楽しくなり

お店に立つ機会が減っていきます。

 

いつも厨房から

お店の状況を判断するようになります。

 

お店の入り口に立つことは、

お客様目線で考えることができる場所

 

そしてお客様がどのように買い回り

どこで立ち止まっているか

しっかりと見ることができます

 

 

飛馬よ、巨人の星になるのだ!

 

 

指導員として入ってもらってから

5年ほどした頃だと思います。

 

店内を見ていた師匠が

ぼそっと

 

いい店になったなあ

 

やっと褒めてもらえましたえーんえーん

 

めちゃめちゃ嬉しかったことは

今でも鮮明に覚えています。

 

 

ユニーグループのテナント順位が

毎月公表されるのですが

 

気がつけば

ベーカリー部門で70店舗中1番

売上の店になっていましたニコニコ

 

 

「たくさんの教えを後世に伝える」

 

 

若い世代の子たちに

自分の立場から直接話しても

伝わりにくいことが多いです。

 

まして

なんでも厳しく指導する時代でもありません。

 

 

今回師匠から学んだことを

振り返り気づいたことがあります。

 

 

師匠が自分に

一番伝えたかった事は

 

「(パン屋の)仕事って楽しいんだよ」

 

 

師匠から受け継いだ想いも

きちんと伝えてい行きます!照れ